今年の夏の甲子園は、
素晴らしい選手や個性的な選手が多くて、
ほんと楽しみです。
甲子園はもちろん、お茶の間もきっと賑わすことでしょう。
この曲を書いて良かった、と思う曲がいくつかある。
歌は時代を切り取る事が出来るし、
その空気を甦らせて、
永遠にその人の胸に刻むことも出来る。
球児達はひたすら白球を追いかけた。
だから僕はそれを音楽で記憶した。
子供の頃からずっと観てた甲子園で、
忘れられない試合がある。
赤嶺投手率いる豊見城高校のベスト8も、
相当興奮させられましたが、
やはり沖縄水産高校の準優勝だね。
もう信じられなかった。
ホントに夢を見てるようだった。
もう脳内は理性を遥か越えてるし、
鳥肌は終始立ちっぱなし。
外は車どころか人っ子ひとり歩いてなかったし、
あちこちの家からは、「あ"あ"ー」とか、「かっとぅばしぇー」とか、
「しなしぇー」とか(笑)
悲鳴のような、怒号のような声が。。
落ち着かない近所の人達は、試合の展開が怖くて観れないのか、
表に出ては呼吸を整えたり、空を見上げたり。
そんな光景を昨日のように覚えてる。
そして誰もが深紅の優勝旗がいよいよ海を渡るぞ、と信じた。
その時作った歌が「I LOVE ME」という歌でした。
当時沖縄テレビの“じゃかALIVE“のエンディングソングにも
起用されてたんで、聴いた人も多かったと思います。
準優勝という興奮覚めやらぬ中、
タイムリーなオンエアでしたので
すごく誇らしく思ったのを覚えています。
球児達が駆け抜けるようなギターソロは、
今も僕のお気に入り。
それから20年後、興南高校が春夏連覇した時に書いたのが
「永遠の高校球児」でした。
I LOVE MEと永遠の高校球児は姉妹曲なんで、
こだわりとしては、イントロや間奏、
曲の1部はI LOVE MEを見事にパクっています(笑)
自分で自分の曲パクるなんて・・ザ・ン・シ・ン。。
永遠の高校球児は、
I LOVE MEとはまた違った視点から書いた詞なのですが、
戦時中の高校球児もモチーフにしてて、
どうしてもあの時代と今とを繋げたかった。
沖縄戦激化に知事に就任し、10万を超す多くの住民を救い、
大田元知事をはじめ、多くの県民から
愛されてきた島田叡知事も有名な元球児でした。
兵庫県神戸生まれの島田知事のその沖縄への貢献は、
後に沖縄の高校野球に「島田杯」が作られたほど。
甲子園の球児を見る時、
僕は決まって島田さんと裁監督の顔が浮かびます。
“天国の裁監督が映ってる“というフレーズも、
島田知事にしようかとも悩みましたが、
その人生を沖縄の高校野球に全てを捧げた、
裁監督の名を連ねさせて頂きました。
全国にも様々な想いを抱いて、
戦地に散った球児達がたくさんいました。
きっともう一度グランドを思い切り走り回りたかったことでしょう。
そんな想いが溢れ出してきて、
僕はこの曲を、生中継で書いた。
この季節になると、甲子園を観ても何を見ても、
どうしても僕は身近に戦争を感じるし、
それはもう、身体の一部のようになってるんですね。
甲子園はずっと続いてきたけど、
そんな想いが消えないのも、
きっと高校野球が放つ不思議な力なんでしょうね。
いつか、いつかきっと、
あのいつかの球児達にもこの歌達が届くといいな。
甲子園。
夢は、きっと、ずっと、続く。