弁理士法人サトー 所長のブログ

弁理士法人サトーから法改正や事務所の最新情報を提供します。

アップル自動車

2015-09-24 16:51:49 | ちょっとひとやすみ
先日、「アップルがEV(電気自動車)に本腰」というニュースが配信されていたのをご覧になった方もいらっしゃると思います。

これについては、個人のFacebookで思うところをちょっとだけ書いてみましたが、より広く知ってもらうためにブログでも触れてみたいと思います。Facebookと重複する点もありますので、ご了承下さい。

記事の概略は、あのアップルがEVの開発に投入する資金を増大するといったものです。

僕自身、弁理士会で技術標準に関する調査研究を行なう委員会に参加している関係でこのブログでも技術標準に絡んだ記事が多くあります。

このように技術標準に携わっていると、自動車というのは比較的標準化が遅れている分野だと感じています。もちろん、タイヤの規格など、部品によってはISOやJIS規格が採用されている部分もあるのですが、車体の多くは各自動車メーカに独自の規格が採用されており、標準化といっても例えばコスト削減を目的として、上位車種から下位車種までスイッチの形状やサイズを統一するとか、同一のプラットフォーム(シャーシ)を用いる車種を増やすとか、自動車メーカ内の閉じた標準化にすぎません。
そのため、自動車メーカが異なるとほとんど部品が共通化(標準化)されておらず、ネジ1本ですら他社のクルマには利用できないこともあるようです。

近年では、低公害ディーゼルエンジンのコモンレールシステムのように、部品メーカが主導して部品の共通化を図ったり、自動車メーカ間でアライアンスを構築して共通化を図ったりする例が出てきていますが、他の業界と比較すると、ずいぶん遅れているように思います。
逆に言えば、この自動車メーカの独自規格が各メーカの個性を残し、我が国の自動車産業が世界のトップを維持できている理由なのかもしれません。

しかし、EVはこのような独自規格を維持する流れを大きく変える可能性があります。ハイブリッド車を含め従来の自動車は、核心となるエンジンやその周辺機器が単独で性能を発揮することがなく、複数の技術的な要素をうまく摺り合わせることによって、所望の性能を獲得できるという種類の技術です。すなわち、高性能なエンジンを開発する場合、エンジン本体だけでなく、これを支える燃料供給系や吸排気系、さらには制御系をうまく摺り合わせて調整する必要があります。そのため、部品を買ってきて、ポンと作り出すことはほぼ不可能です。

これに対し、EVは、電池とモータに制御ユニットがあれば、簡単に作ることができます。実際に、ラジコンなんかは、タミヤのコントローラつきのシャーシを買ってきて、マブチのモータを載っけて、パナソニックの電池につなげば簡単に走り出します。
EVは、車体が大きくなっただけで、このラジコンとたいした違いはありません。
そうなると、EVメーカは、既存の自動車メーカではない可能性は十分に考えられます。
実際に、アップルだけに限らず、「グーグル」や「アマゾン」なんかもEVの開発を目指しているとか、いないとか。

ここで心配なのは、自動車メーカの動向です。あまりに他社の動向ばかりを気にしていると、アップルやグーグルのような思わぬ大敵があさっての方向からやってくるかもしれません。
トヨタが燃料電池の技術に関する特許を開放したのも、あさっての方向からやってくるメーカを早めに発見するためだったのかな、と思ったりしています。

日本は、島国という特殊な環境にあるためか、他の技術との互換性が求められる標準化というものに理解が薄い気がします。まさにガラパゴスです。

EVなんかよりももっと大きな障害となるかもしれない「インダストリー4.0」についても、危機感をもって動いている日本人は少ないのではないでしょうか。「インダストリー4.0」については、別の機会に紹介したいと思いますが、これに対する日本人(日本企業)の鈍感さには危険を感じずにはいられません。

とはいえ、標準化がすべてに優越するわけでもないのが難しいところです。島国の日本だからこそ、周辺の環境の激変に晒されないよさもあるかもしれません。
日本のことをガラパゴスとして危機感を煽る評論家も多いのですが、アメリカなんて国境はカナダとメキシコだけで、実質島国ようなものです。特許制度をはじめとする社会システムやエンターテイメントなど、アメリカは巨大なガラパゴスのようなものです。

話が右往左往していますが、重要なことは、情報収集を怠らず、収集した情報を適切に分析して、常に不利にならない態勢を整えておくことだと思っています。当たり前といえば当たり前なのですが。



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知的財産制度の未来

2015-09-11 13:23:28 | ちょっとひとやすみ
夏休みは、我が家の子ども達も苦手な読書感想文に苦しんでいました。
それを見ていたからというわけではありませんが、最近読んだ本の中で興味深い本の感想を。
知的財産制度の未来を考えさせられました。

知財関係者の著書ということで、業界の方にはちょっとした話題だった「久慈直登」さんの「喧嘩の作法」。お気づきの方もあるとは思いますが、東海道新幹線の車内誌「Wedge」で連載されていた著作の単行本です。「久慈」さんは、本田技研の知財部長を務められた方です。

ホンダといえばF1なんかが有名ですが、著書の中でも紹介されているように「知財」に関しては強気な会社ということで有名です。広く知られているのは途上国での「スーパーカブ」の意匠権侵害訴訟があります。著書の中では、「知財」はビジネスで利用しうる攻撃用の武器と述べられており、防御のための知財戦略が主である日本の多くの企業にとって感じるところは多いのではないかと思います。

さて、その著書の中でも最終盤に紹介されている知財の「南北問題」は、大変興味深いものでした。
「南北問題」についておおまかに紹介すると、「途上国(南)」と「先進国(北)」との間のジレンマといえるでしょう。知財に限らず、国際的な問題の多くはこの「南北問題」につながります。最近話題の「TPP(環太平洋パートナーシップ)」も、日本ではコメや自動車といった核心的な話題が中心ですが、それ以上に「南北問題」が摩擦を生じさせています。このTPPでも、知財が摩擦の一因になっています。

本題に行きましょう。
知財、特に特許は、特許権者を出願から20年という長期にわたって強固に保護します。この強固な保護には、差止請求権、損害賠償請求権が含まれています。この強固な保護を背景に、発明者(出願人)は、多大な研究資金を投入して、新たな発明を行なっています。つまり、将来的に強固な保護が約束されるからこそ、投資した資金を回収する機会が確保され、発明者(出願人)は安心して研究資金を投入することができるのです。
先進国(北)におけるこの知財の力を背景とした開発サイクルは、既存の発明を超える新たな発明を促すこととなり、累積進歩にともなう産業の発達に大きく貢献します。これは、日本における特許法が、1条で「産業の発達に寄与」することを目的としているように、知財制度が技術的な進歩を進める動力源になっていることを意味します。

ところが、途上国(南)は、技術的進歩を進める動力源となる研究開発の余力がありません。そうなると、途上国に存在する知財の多くは、先進国(北)が生み出したものであり、その途上国内で自由に実施することすらままなりません。途上国では、知財が産業の発達の阻害するおそれすらあります。
特に、医薬は、人の命に直結するにもかかわらず、あらゆる産業分野の中でも最も強力と思われる知財によって保護されています。インフラや環境といった知財も、多くが先進国で生み出されたものです。そのため、途上国内における国民の安全・健康のために、水や空気の浄化など生活環境の改善を図ろうとしても、先進国の知財によって実施が阻まれたり、高いライセンス料を要求されることになります。

そこで、知財の「南北問題」において、途上国(南)は、当該国に存在する知財について国家の裁定による強制的な実施権制度など、知財の効力を有名無実化する制度の構築を狙っています。

この権利による利益と、権利があるがための不利益とのアンバランスの解消は、南北国家の利害が正面から対立するだけに非常に大きな摩擦を生じさせています。

しかし、医薬、インフラ、環境といった産業分野は、まさに人の命に直結する問題です。著者の久慈さんは、ホンダのCVCC技術の活用を例に、この南北問題を解決するためにも知財関係者は知恵を出し合うことが必要と述べられています。

知財に携わる者として、とても共感する点でした。
どうも、日本では、知財(特に特許)は、一攫千金の金儲けの手段のように扱われることが多いのですが、多くの特許に基づく技術は地道な研究によってコツコツと積み上げられたものばかりです。そして、その知財によって、みんながハッピーになるはずですが、発明者のハッピーだけがクローズアップされがちです。
そろそろ、特許法の1条には、「産業の発達」だけでなく、「地球環境の維持」や「人類の生存」といったマクロな視点が必要になってきているのかもしれない、などと大きなことを考えさせられた読書となりました。

ところで、日本をはじめとする特許などの知財制度は、産業革命とともに発展したといえるでしょう。そのため、特許法の1条に「産業の発達に寄与」とありますが、実質的には「産業」=「製造業などの第2次産業」といえます。しかし、すでに産業構造はよりソフト化が進み、第3次産業の比重が高まっています。にもかかわらず、特許制度は、第2次産業の保護に重点がおかれています。商標制度では、サービスマークという第3次産業保護が図られていますが、多くは商品という第2次産業の産物を保護しています。
このように、知財制度として、第2次産業の保護を重視し続けていくと、従来の知財制度自体が「古い」といわれ、活用されない時代がやってくるかもしれません。

時代に応じた産業の保護を図るために、知財制度も新陳代謝が必要な時期になっているのかもしれません。


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メディアと専門家

2015-09-02 16:05:27 | その他の情報
このブログでもたびたび取り上げてきました東京オリンピックのロゴ。
今回、デザイン案が取り下げられたことで、とりあえず一段落しました。

名古屋ではなかなか目につきませんが、先日東京へ行った際、駅や繁華街ではこのロゴを頻繁に目にしました。
東京でこれだけロゴが利用されていると思うと、今回の騒動の影響(特に、金銭的)は非常に大きなものになると予想されます。

ところで、この騒動で気になったのは、メディアによる専門家の使い方。特にテレビにおける専門家の使い方。
何か事件があると、その筋の専門家がテレビに呼ばれて色々と説明をするわけですが、今回の騒動でも例外ではありませんでした。
毎日、いつもの専門家の方々が説明していました。

しかし、ここに違和感がありました。
専門家として呼ばれたのは、「著作権に詳しい弁護士」や「商標に詳しい弁理士」という方々。

このブログで何度もお伝えしたように、商標法や著作権法の視点からは、今回のロゴに法律的な問題はほぼありません。
商標としての類似の範囲、著作物としての複製に相当するかなど、法律的な視点で見る限り、問題はない(無い可能性が高い)のです。
また、ベルギーで訴訟を提起されようが、IOCのあるスイスで提訴されようが、属地主義が基本の知的財産権に影響は与えません。

このような状況で「著作権に詳しい弁護士」さんや、「商標に詳しい弁理士」さんにお話を伺ったところで、「法律的には問題ありませんね。」という回答しか得られません。そう回答するしかないもの。
そうなると、テレビの前の人々は、「何だよ、こんなに似てるのに問題ないなんて、専門家って適当だよな。」という印象を受けてしまいます。

何度も繰り返しますが、今回の騒動は、商標権侵害や著作権侵害といった法律の問題ではなく、クリエイターとしての誇り・モラルの問題だと思うのです。
ですから、今回の騒動に関する問題は、弁護士や弁理士などの専門家に尋ねるのではなく、クリエイターであるデザイナーさん達に「デザインとしてどうよ?」と尋ねるのが本筋だと思います。
テレビをはじめとするメディアでは、自らの報道の正当性を担保するために専門家の意見を聞きたがりますが、今回のケースは選択すべき専門家を間違っているように思います。

変なとばっちりがこないといいのですが。


※属地主義:知的財産権は、その国の法律に従って成立するものであり、他国の判断や法律の影響を受けません、という趣旨の考え方です。


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目指す弁理士像

2015-09-01 16:46:31 | ちょっとひとやすみ
今日、外国の事務所から弁理士の訪問を受けました。
もしかしたら、このブログもご覧いただいているかもしれません。

この弁理士の先生(個人情報ですので「Y先生」とします。)は、日本人で日本の弁理士でありながら、ドイツの特許事務所に勤務されています。今回、弊所のウェブサイトを見て興味をもったとのことで、事務所を訪問していただきました。
お話をしてみると、色々と共感すること、勉強になることが多々あり、非常に刺激的でした。事務所のビジネスに参考になることだけでなく、現在進めている方針に自信が持てました。

さて、このように、日本の弁理士資格を持ちながら海外で活躍する弁理士は多くいらっしゃいます。しかし、その多くは、日本の事務所や企業に勤務しながら、駐在という形で外国の事務所や事業所に籍を置かれている方がほとんどです。
Y先生のように、勤務先そのものを外国の法律事務所(特許事務所)とされている方は少数派であると思います。
今回、Y先生とお話をしてみて、弁理士としてのキャリアプランが重要だと感じました。
そこで、説教じみていますが、弁理士像について感じることでブログを書いてみます。

僕は、常々、事務所で新たに合格した弁理士に次の問を投げかけます。「どのような弁理士になりたいか?」ということです。
合格して最高に舞い上がっているときだからこそ、将来は冷静に見つめて欲しいと思うからです。
正直なところ僕自身は、弁理士に合格したとき、自分の求める弁理士像を意識をしていませんでした。しかし、弁理士として、どこに自分の活躍する主たるフィールドを置くかによって、キャリアプランが異なります。
漠然とした弁理士像では、日本中ですでに10000人を超える弁理士に埋もれてしまい、大勢の弁理士の中の一人にすぎなくなってしまいます。そうなると、資格があってもなくても変わらないという状況にも陥ってしまいます。
自分の求める弁理士として明確なビジョンを持って、それを達成するために何をすべきかということを常に意識することが大切です。そのような理由から、目指す弁理士像を意識してもらい、その後のキャリアプランに役立てて欲しいと思っています。
弁理士というプロフェッショナルな世界では、「この話題なら○○さんに任せよう。」と思われるくらいでないと食っていけません。

弁理士像を超えて僕が目指す特許事務所像は、広く浅い弁理士の集合体よりも、鋭く狭く非常に深い弁理士の集合体です。自分でできることは限られていますので、狭いけど深い能力をいつでも貸してもらえる関係を事務所の弁理士と構築できたら最高です。

ちなみに、僕の場合、合格した当時に想定した弁理士像とは全く違う現実になっています。
環境に臨機応変に対応する弁理士も、目指すべき弁理士像の一つなのかもしれません。


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