弁理士法人サトー 所長のブログ

弁理士法人サトーから法改正や事務所の最新情報を提供します。

マリカーからの独自視点

2017-02-27 12:07:27 | 知財関連情報(その他)

先週末から話題になっている「マリカー」。
僕も名古屋の繁華街で、コスプレでカートに乗る人を時々目にしていました。いい歳した大人がコスプレしてと思ったりもしていましたが、当然ながら任天堂の宣伝とばかり思っていましたので、ちょっとびっくりです。

この「マリカー」事件。詳細は、いろいろなメディアで報じられており、また「専門家」の意見も採り上げられていますので、いつものように独自の視点による考察をしてみたいと思います。
報道を見る限り、キャラを使った著作権と、任天堂と誤認する不正競争とが入り交じった感じですが、任天堂のウェブサイトのニュースリリースを見る限り、「不正競争行為および著作権侵害行為」を対象にしています。

さて、独自の視点は、著作権についてです。

まず下の「図A」を見てください。

図A


これは単なる「赤いTシャツ」ですね。普通の赤いTシャツであれば著作権というほどのものではないでしょう。
次に「図B」。

図B

これも「青いつなぎ」ですね。これにも著作権というほどのものは。。。
次に「図C」。「青いつなぎ」に「黄色いボタン」をつけてみました。なんだか怪しくなってきました。

図C


そして、「図D」。図Aに図Cを組み合わせただけなのに、ここまでくると。。。だいぶヤバイ感じになってきました。

図D


ついでに、「図E」。「黄色のボンボンがついた赤いベレー帽」に、「ヒゲ」。単純化していますが、もうまるで「○○オ」です。

図E



今回、お伝えしたいのは。
「Tシャツ」や「つなぎ」といった個々のパーツだけであれば、そこの著作権が発生することはほとんどありません。しかし、このパーツを組み合わせることによって、新たな創作が産まれると、そこには著作権が発生します。
例えば、「マリカー」の業者が「市販のカートに、市販のありふれたTシャツ、市販のありふれたつなぎを貸し出して乗ってもらっているだけ。」という主張をしたとします。この主張自体は間違いではありません。しかし、今回のように市販のありふれた物であっても、これらを組み合わせると他人の創作物となってしまうことがあります。

市販品の寄せ集めという主張、一般的には消尽(しょうじん)という理論で処理されます。特許の場合、市販の製品を購入して新たな完成品を組み立てても、特許権の問題になることはあまりありません。しかし、著作権の場合、市販品の寄せ集めに新しい著作権が発生することがありますので、注意が必要です。

しかし、昔のファミコンレベルの描画だと、あっという間に似たような物が作れてしまうことに自分でも驚いています。パワポで描いただけなのに、まるで○○オ。

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弁理士&弁理士補助(特許技術者)募集中!!

2017-02-09 15:44:06 | 事務所情報

昨日から日本弁理士会の求人情報のページで、弊所の求人を掲載しています。

http://www.jpaa.or.jp/job/job_list_area.php

もしご興味のある方は、遠慮なくお問い合わせください。

事務所の求人情報も更新していますので、こちらもご覧ください。

http://www.sat-patent.com/recruit.html

サトー国際特許事務所では、知財の権利化という柱となる業務に加え、近年は企業の業務支援も行なっています。これまでの弁理士とは違った別の世界の仕事になるのですが、これがおもしろいのです。

もし、弁理士という職業において権利化業務以外にも興味のある方、ぜひご応募ください。
もちろん、従来通り権利化業務の事務所の柱ですから、こちらでの活躍を希望される方も歓迎です。

ここでひとこと。
僕のブログを読んでもらうとわかるように、知財業界の閉塞感は他の業種以上かもしれません。毎年右肩下がりで特許の出願件数は減少し、回復の兆しはみえてきません。
ところが、特許という狭い視点から抜け出してみると、意外にも弁理士業務は仕事に事欠かないことがわかってきました。
ここでタネあかしをすることはできませんが、サトー国際特許事務所では数年前から特許出願という限られた枠から飛び出して新しい事業を模索してきました。まだまだ柱となる権利化業務に代わるほどの仕事はありませんが、少しずつ手応えを感じ始めています。

既存の事務所では物足りなかった何かを見つけることができるかもしれませんよ。

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ちょっと気になるJASRAC問題。

2017-02-07 12:10:50 | ちょっとひとやすみ

JASRACが大手の音楽教室から著作権料を徴収するということで、話題が沸騰しています。

JASRACは、概念としては「パテントプール」と似た仕組みです。
著作物(JASRACの場合、「音楽」に限られますね。)は特許などとは異なり、審査や登録を必要としませんので、完成した時点で著作権が発生しています。この著作権について、著作者である「作曲者」や「作詞者」などのクリエイターと、「演奏家」などのユーザーが1つ1つ管理して、毎度毎度の権利の使用許諾をするのは大変な作業です。

「パテントプール」も、テレビやコンピュータなどの数百~数千の特許を個別に実施許諾をするのは大変だから、「パテントプール」会社がそれらの特許権を一括して管理して、利用者に許諾してお金を徴収し、集めたお金をパテントプールに特許権を供出した権利者に分配する仕組みです。この場合、パテントプール会社は、供出した特許権の数に応じて、集めたお金を権利者に分配しています。ですから、たくさんの特許権を供出した企業には、自社が実施しなくても多くの特許使用料が入る仕組みになっています。

ちょっと話がずれました。JASRACも建前では、この「パテントプール」会社と同様に、ユーザからお金を集めて、クリエイターに分配することを行なっています。
ところが、特許などと違って著作物は、いつどこで使用されているかを把握するのは非常に困難です。ちょっとした演奏会やライブなどがあると、どの楽曲が何回利用されたかなんてわかりません。そこで、JASRACでは、包括契約という形でライブの「入場料」や「会場の広さ」などにあわせて、収入の数%程度を著作権使用料としてユーザーから徴収する仕組みになっています。そして集めた使用料を、クリエイターに分配するのがJASRACということです。
但し、この分配が適切に行なわれているかは色々と議論がありますが、今回はそこが気になる点ではありません。

今回気になったのは、ちょっと以前に問題となった、お笑いの「キングコング:西野」氏による絵本の無料開示との世論の整合性です。

「西野」氏は、自作した絵本(これも著作物です。)を、絵本として販売するだけでなくネット上に無料公開しました。西野氏としては、「絵本は子供に与える大切なものだから、ネットで絵本を見てもらって、納得してもらえれば書店で購入してください。」という趣旨だったようです。

この「無料公開」という行為に対して、世の中では「西野が無料でやっていることを理由に他のクリエイターにも無料が強要される。」、その結果として「クリエイターの収入が減少し、新たな創作の意欲が低下する。」として、「絵本文化の裾野が狭まり衰退する。」という論調が多く出されました。
どちらかというと、西野氏による無料公開に対して、ネガティブな意見が多かったようです。

翻って、今回のJASRAC問題。
JASRACは、これまで使用料を求めていなかった音楽教室に対して、使用料を徴収することとしました。JASRACとしては、「音楽教室では先生による演奏が行なわれているので、適切に使用料を支払う必要がある。」といった趣旨です。

この「使用料徴収」という行為に対して、世の中では「使用料が授業料に上乗せされることによって音楽に興味を持つ人が減少し、CDやライブの売上が減少する。」、その結果として「クリエイターの収入が減少し、新たな創作・演奏の意欲が低下する。」として、「音楽文化の裾野が狭まり衰退する。」という論調が多く出されました。

あれれ。

絵本は「無料」によって「文化が衰退」するという論調だったのに、音楽は「有料」によって「文化が衰退」するということ?

先にも挙げたように、JASRACは徴収した使用料をクリエイターに適切に分配しているのかどうかという疑問があるのは確かなのですが、「無料」と「有料」と「文化の盛衰」にはあまり関係がないのかもしれません。
そうすると、今回の問題は、JASRACのあり方、仕組みの作り方に問題が無いかを掘り下げる必要があるのであって、「お金を徴収すること」を問題視するのは道を誤ってしまうような気がします。

結局、世論を「正論」と考えてしまうと、某大統領のように盛大な矛盾が生じることになりますね。
事務所をはじめ会社の経営も同じかもしれません。

コメント (2)
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著作権判例百選事件

2017-02-03 11:49:55 | 知財関連情報(その他)

今日は節分ですね。
いつの時代からか「恵方巻」というのが食べられていますが、地元の九州ではこんな風習はありませんでした。普通に、「鬼は外、福は内」と豆まきをしていました。
お寿司は大好きなので、恵方巻でも何でも食べることができれば構わないのですが。

さて、先日、僕以外の弁理士による投稿を行なう、と予告しました。
今回は、その第1弾として、事務所の「小池弁理士」による「著作権判例百選事件」についてご紹介します。

*****

2015年に、有斐閣の著作権判例百選第5版の出版が差止められるという事件が発生しました。これは、第4版の編集著作者の一人であると主張する大学教授Xが、自身が第5版に編者として携わることができず、意に反した状態で第5版を出版しようとする有斐閣の行為が著作権及び著作者人格権を侵害するとして、東京地裁に出版差止めの仮処分を申請したものです。
これに対して有斐閣が保全異議申立てを行いましたが、東京地裁は債権者の訴えを略全面的に認めて仮処分決定が認可されました。更に有斐閣が知財高裁に控訴したところ、昨年11月に有斐閣勝訴の逆転判決が出た結果、第5版は昨年の12月に出版されました。

著作権が身近であり、且つ著作権を内容とする雑誌を出版しようとしていた出版社において、何故このようなイザコザが生じたのかは非常に興味深いところです。個人的にも第5版の出版を心待ちにしていたので、一体何が起きたんだ??という気持ちでした。

公開されている判決文から読み取れる事実経過は、第4版の編集著作者の他の一人であるA教授とX教授との確執というものが窺われてめちゃめちゃ面白いのですが、主たる争点は、「X教授が第4版の編集著作者であるか」という点でした。第4版の表紙には、X教授の名前が編者として記載されています。

この点につき原審では、氏名に「編」を付する表示は、その者が編集著作物の著作者であることを示す通常の方法であり、取り敢えずXは、第4版の著作者(編集著作者)と推定されるとして、その推定を覆す事情が疎明されているかを検討しました。

(1)Xは、執筆者の1名を削除して別の3名を選択することを独自に発案してその旨の意見を述べ、これがそのまま採用された、
(2)第4版は、当初からXら4名を編者として創作するとの共同意思の下に編集作業が進められ、編集協力者として関わったDの原案作成作業も編者の納得を得られるように行われ、原案はXによる修正があり得るという前提でその意見が聴取、確認された、
(3)Xは編者としての立場で、本件原案やその修正案の内容を検討した上、最終的に編者会合に出席し、他の編者と共に判例113件の選択・配列と執筆者113名の割当てを項目立ても含めて決定、確定する行為をし、その後の修正にもメールで具体的な意見を述べ、編者が意見を出し合って判例及び執筆者を修正決定、再確定していくやりとりに参画した。

といった事実から、Xによる(1)の素材の選択には創作性があり、(3)の確定行為の対象となった判例、執筆者及び両者の組合せの選択並びにこれらの配列には、もとより創作性のあるものが多く含まれ、Xが編者としての確定行為によりこれに関与した、などとして、Xは編第4版の著作者の一人であると認定しました。

これに対して控訴審でも、原審と同様にXは第4版の著作者と推定されるとして、その推定を覆す事情の有無を検討しました。
・「編集方針や素材の選択、配列について相談を受け、意見を述べることや、他人の行った編集方針の決定、素材の選択、配列を消極的に容認することは、何れも直接創作に携わる行為とはいい難く、これらの行為をしたに留まる者は当該編集著作物の著作者とはなり得ない」
として、編集過程におけるXの提案等の具体的関与については、
・「斬新な提案というべきほど創作性の高いものとはいい難く」、「その提案に仮に創作性を認め得るとしても、その程度は必ずしも高いものとは思われない」
・「このようなXの関与をもって創作性のあるものと見ることは困難である」
・「第4版の編集過程においてXは、~実質的にはむしろアイデアの提供や助言を期待されるにとどまるいわばアドバイザーの地位に置かれ、X自身もこれに沿った関与を行ったにとどまるものと理解するのが、第4版の編集過程全体の実態に適すると思われる」等と評価され、
「そうである以上、法14条による推定にもかかわらず、Xを第4版の著作者ということはできない」、「Xは、第4版の著作者でない以上、著作権及び著作者人格権を有しないから、抗告人に対する被保全権利である本件差止請求権を認められない」との結論になりました。

編集著作物の編集作業に複数人が関与した際に、各人の作業のどこまでに創作性が認められて著作者と成り得るかは、各作業者間の相対的な関係で決まるため、その見極めは微妙である、と思われます。原審で「創作性あり」としてXを著作者と認めた判示内容も、それなりに説得力があるような気もします。
控訴審では、第5版が発行できなくなると出版社の不利益が大きく、今後も同様な問題で出版が頓挫するケースが出ることを回避するため、出版社側に立った判断をしたのでは?ということも推測されます。
何れにしろ本件は、編集著作物について著作者を認定する基準の1つを提示したと思われます。第6版に本件が掲載されることを期待します。


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