弁理士法人サトー 所長のブログ

弁理士法人サトーから法改正や事務所の最新情報を提供します。

過信は禁物&油断は禁物

2016-06-29 14:42:06 | 知財関連情報(その他)

6月に入ってから、「過信は禁物」、「油断は禁物」な出来事や経験が目立ちました。

まずは、都知事問題。
政治的な問題なのでこのようなブログで触れるべき話題ではないのですが、すでに賞味期限切れしていますので、そろそろよいかと。
違法でない以上、責任をとる必要はないと思っていたような舛添さん。しかし、記者会見を見ていると、「策士策に溺れる」感が強かったですね。頭のよい人というのは、えてして言葉で説明しようとしすぎる傾向にあるようです。言葉ではなく、誠心誠意の気持ちで説明していたらあそこまで炎上しなかったんじゃないでしょうか。
人というのは、理屈だけではなかなか納得しないようです。
「ファーストクラス?前任者も使ってたから、問題ないと思った。」とか、「湯河原?さすがに公用車はマズいですよね、今後気をつけます。」といった程度に最初から適当にトボけていればよかったんじゃないかな。
自分の弁論能力を「過信」していたんでしょうね。

次に、イギリスEU離脱問題
これも現首相のキャメロンさんが、「国民はまさか離脱なんて選択はしないだろう」という「過信」から今回の問題が生じたのではないでしょうか。国民や周辺の国会議員が「離脱、離脱」とうるさいものだから、「じゃあ、みんなの意見を聞こうじゃないか。国民投票だ!!」となって、今回の事態。
イギリス国民も、「国民投票とはおもしろいね。別に離脱派ではないけど、ちょっとキャメロンを脅す意味で離脱に投票しちゃおうかな」、「どうせ残留派が勝つだろうし」という「過信」があったように感じます。
もちろん煽りに煽った離脱主導者も、まさか自分たちに責任が降りかかってこようとは思いもしなかったんではないのでしょうか。
選挙後のイギリス国民や離脱主導者の狼狽ぶりをみていると、「多数派の考え=正しい考え」とはならないことがわかり、民主主義の怖さを垣間見た気がします。
ところで、キャメロンさんて、まだ49歳なんですね。

そして、身近な出来事から。
とある方から聞いた話ですが、某大手企業の将来の方針として説明された内容がずいぶん古くさかったということです。その内容は、事務所が普段考えていることとは、「1周半」くらい周回遅れのような古い話でした。
中小企業や事務所は、限りある資金と知恵を有効に活用するために、将来を見越した戦略を考えて、一体になって研究しています。
でも、企業の規模が大きくなるほど、人材が揃っていることもあって、外部の意見を取り入れない傾向が強くなるようですね。そして、周囲から取り残されていることに気づかないのかもしれません。
これも「過信」と言えるのかもしれません。

事務所の運営も、「好事魔多し」で好調なときほど、「過信」や「油断」を産みやすくなります。最近は、事務所にとって「好事」があまりありませんが、「過信」や「油断」を招かないように肝に銘じます。

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知財コスト???

2016-06-01 10:40:56 | ちょっとひとやすみ

あっという間に6月です。
サトー国際特許事務所では、GW明けからクールビズを採用しております。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

さて、今日のテーマは、「知財コスト」。
知財業界では、当たり前のように「知財コスト」という言葉が使われていますが、とても違和感があります。

特許などの知的財産の権利取得や維持のために、代理人である弁理士や特許庁に支払うお金のトータルを「知財コスト」と呼んでいるのでしょうが、これって正しいのでしょうか?

知的財産は、特許権、実用新案権、意匠権、商標権という「権利」です。この「権利」を取得するために必要なお金を「コスト」と考えるのはちょっとヘンではないでしょうか。

世の中、「基本的人権」、「参政権」、「日照権」、「債権」といったようにたくさんの「権利」があります。そして、知的財産権も、これらの「権利」の一つにすぎません。
歴史的に考えると、「基本的人権」や「参政権」を獲得するために、絶対権力に対して市民は蜂起し、多くの血や涙を流した引き替えに、これらの「権利」を獲得しました。この市民が流した多くの血や涙は「コスト」なのでしょうか。
他にも、「日照権」を得るためにも、裁判を起こして「権利」を取得することもあるでしょうが、このための訴訟費用を「日照コスト」なんていいませんよね。

このように権利を取得するためには、金銭に限らず、血や涙などその引き替えとして何らかの代償が必要なわけですから、これを「コスト」と呼ぶのは違うような気がします。確かに、出願人から見ると、弁理士の費用は「コスト」にしか見えないのでしょうが、知的財産権は他の権利と違って表現一つで権利範囲が変化するという特異性を有しています。そうなると、より強力で安定した権利を取得するためには、自分で権利範囲を策定するよりも能力の高い弁理士に依頼した方がよい結果をもたらすことは言うまでもありません。
ですから、この弁理士へ支払う金銭は、「コスト」ではなく、価値ある権利を創造するための代償(投資)なのです。
この「知財コスト」という言葉が使われ出してから、「知財」も牛丼や衣類と同様に「安いほどよい」という風潮が一部にあるようですが、安くて強い権利を取得しようという甘い考えが通用しないのはどの世界も同じですよね。

このような面からも「知財」は将来事業体を支える権利を取得するための「投資」であって、「コスト」ではないということに気づいて欲しいですね。

反面、「貴社の知財コストの低減に貢献します!!」と、弁理士が「知財コスト」という言葉を使っているのも事実なのですが・・・。

コメント (4)
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