年度末だからでしょうか、知財関連の情報が次々にニュースになっています。
新聞やテレビでも報道されていましたが、後発薬いわゆるジェネリック医薬品について知財高裁で大合議の判決が出されたことが話題となりました。
参考:知財高裁平成27年(ネ)10014号
相変わらずマスコミはセンセーショナルに報道することばかりが先行し、「ジェネリック医薬品が特許権侵害」、「ジェネリック医薬品の普及にブレーキ」といった、今回の判決の本筋から離れた記事が氾濫していました。正直なところ、某全国紙、それからネット上のニュースなどで本事件を知りましたが、報道ではどこが問題なのかさっぱりわかりませんでした。
そんな理由から、今回は独自の視点でこの判決に迫ってみたいと思います。
知財的な観点から今回の判決を読むと、「均等論」の適用が本質ですが、ここは他の先生方に任せて独自の観点で今回の判決の本質に迫ってみたいと思います。
なるべくわかりやすくするために、不正確な点もあるかもしれませんが、悪しからず。
まずジェネリック医薬品から。
医薬品は、特定の病気に効く薬効を生じさせるために、開発、臨床試験、厚労省の承認といった段階を経るため、多額の費用が掛かります。最近の新しい医薬品の場合、数百億円規模の開発費が掛かることもあるようです。そのため、新しい医薬品を開発したメーカ(新薬メーカ)は、特許を出願して他人による模倣を防止することでこの開発投資を回収します。
通常の特許権の存続期間は出願から20年ですが、臨床試験や厚労省の承認をともなう医薬の特許については最長で25年まで存続期間の延長が認められています。これも、「試験期間などのように医薬を販売できない期間は開発投資の回収が困難」であるという医薬に特有の事情に配慮したものです。
それでも、25年を経過すると、特許の存続期間が切れてしまいますので、対象となる薬品の特許は、誰でも自由に使えるようになります。
このように特許が切れてしまった医薬品が「ジェネリック医薬品」であり、特許を所有していたメーカ以外(後発メーカ)も製造や販売をすることができます。
特許が切れたときには新薬メーカによる開発や試験が終わっているわけですから、後発メーカは、新薬メーカのような手間を省いてジェネリック医薬品を製造・販売することができます。その結果、特許が切れた「ジェネリック医薬品」は、新薬メーカの医薬品に比較して安価であるという特徴があり、医療費を削減したい我が国の政策からも使用が推奨されているのはご存知の通りです。
さて、前振りが随分長くなってしまいました。
今回の事件の対象となった医薬品(便宜上、「A」)の特許は、既に切れていますが、「A」を開発した新薬メーカは、「Aの製造方法」についても特許を持っています。こちら「Aの製造方法」の特許は、後発メーカが「A」を製造販売している時点でまだ存続しています。
つまり、「A」の物質特許は切れているが、「Aの製造方法」の特許は切れていません。
その結果、「A」の特許が切れたことで、後発メーカは、「Aの製造方法」の特許があったとしても、製造方法が違うと判断したからか、「A」の製造を始めました。
新薬メーカは、この「Aの製造方法」の特許があることから、後発メーカによるAの製造行為を、「Aの製造方法」の特許を侵害するとして訴えたところ、一審で新薬メーカが勝訴し、今回の控訴審でも新薬メーカの主張が認められて勝訴した、というのが結論です。
ここで、気をつけていただきたいのは、「A」の特許は切れているけど、「Aの製造方法」の特許が存続していることです。
特許法では、「Aの製造方法」の特許は、「Aの製造方法」で製造された「A」にも及ぶ、ということになっています(特許法2条3項3号)。
しかし、後発メーカは、自身の「A」の製造方法は、新薬メーカの特許である「Aの製造方法」と違うのだから「Aの製造方法」の特許を侵害しないと考えたわけです。
特許法では、上のように「Aの製造方法」の特許は「Aの製造方法」で製造した「A」に及ぶとなっているので、「A」を「Aの製造方法」以外で製造すれば特許権は及びません。
ところが、新薬メーカは、「後発メーカが違うという『Aの製造方法』は、特許となっている『Aの製造方法』に対してどうでもいい部分をちょちょいと変更して違うと言っているだけでしょう、だから実質的には『Aの製造方法』を使っていることになるから侵害ですよ。」と反論したのです。
つまり、新薬メーカは、後発メーカの行為が「Aの製造方法」の均等の範囲にあるとして侵害を主張したのです。「均等」については、説明すると長くなるので省略です。
結果として、裁判所は、新薬メーカの主張の通り、後発メーカの行為(Aの製造や販売)は、「Aの製造方法」の均等の範囲にあるから、新薬メーカが保有する「Aの製造方法」の特許を侵害する、と判断したということです。
このように、特許が切れているのは「A」に関する特許ですので、「Aの製造方法」の特許が存続している以上、後発メーカが「Aの製造方法」で「A」を製造すると、「Aの製造方法」の特許を侵害することになってしまいます。
このように、新薬メーカは、「A」という物質そのものだけでなく、「Aの製造方法」、「Aの処方」など、「A」に関する様々な特許について時期をずらしながら出願していくことで、「A」の保護期間を実質的に延ばしていくのです。これも知財戦略上のテクニックといえるでしょう。
ここからが個人的な意見です。
今回の判決では、裁判所の判断として妥当だと思います。「Aの製造方法」特許権が存続している以上、これを侵害する後発メーカの行為を否定する理由がありません。「均等論」の適用についても、妥当でしょう。
ですから、判決には文句はありません。
でもね。
特許法の趣旨という視点から考えると、疑問が残ります。
特許法は、一定期間(出願から20年~25年)、特許権者に独占排他的な権利を与えることで、発明に要した投資を回収する機会を与えています。
特に、医薬品については、最長で25年という他の技術分野と比較してより強力な保護が与えられています。
それにもかかわらず、「A」と「Aの製造方法」とを別の特許とすることで、実質的に「A」の保護期間を延長するような手法は適切なのでしょうか?
つまり、「A」と「Aの製造方法」として別の発明、別の特許であるのは重々承知しているのですが、実際は「A」の保護を延長しているわけです。実質的な保護対象は、「A」です。
そうなると、「A」に関する投資を回収する機会は、「A」の存続期間に確保されているわけですから、さらに「Aの製造方法」によっても「A」の投資を回収する機会を得るというのは、利益の二重取りのような感が否めません。
これでは、特許権者側の利益と需要者の利益との均衡がとれていないように感じます。
機械や電気などの他の技術分野では、このような保護の仕方はなかなか難しく、技術分野の間でも保護に不均衡があるように思います。
また、公共の福祉という視点からも疑問が。
新薬については、特許が切れると速やかにジェネリック品を市場に提供することによって、国民の健康(生命)をより安価に確保することができるということも考えられるわけです。ですから、ジェネリック医薬品は、「公共の福祉」にも利するものです。
医薬品が低廉になると、医療費の負担が小さくなり、国民による保険負担も小さくなるわけですから。
新薬メーカが「Aの製造方法」によっても投資を回収することを見越して、「A」の価格を低廉に抑えていれば問題はありませんが。
このように今回のケースは、知財という観点からは判決に疑問はありませんが、なんだか腑に落ちない点もある話題です。