いつも聴いているpodcast番組(ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」)の企画で、ジェーン・スーさんと堀井美香さんが「東電社員殺人事件」を取り上げていました。
事件当時、私の勤務地は東京電力本社の隣だったのと、被害者の女性社員が私とほぼ同年代であったことから記憶には残っているのですが、事件の背景や事実関係等にはほとんど関心は抱きませんでした。
ということで、まず全貌を頭に入れておきたいと思い、本事件を扱った代表作である佐野眞一さんのノンフィクション作品を手に取ってみたというわけです。
本書で佐野さんも指摘しているように、本事件は発生当時、異常ともいうべきセンセーショナルな扱いが先行しました。
(p490より引用) いずれにせよ、渡辺泰子は魔風、淫風が吹きよどむ強い磁場のような円山町の底に引きこまれ、夜も朝もないこの街の片隅で何者かに絞殺された。そして情報の飢餓感だけを媒介とする大衆とマスメディアの吐き気のするような補完関係のなかで、泰子は二度殺された。
そういった当時のマスコミ報道と一線を画した立ち位置をとった本書は、本件の裁判の進行を辿ることでの「被告の冤罪の証明」のパートと、被害者の心情・行動を坂口安吾流の “堕落論” を敷衍しつつ考察した パートとで構成されています。
読み通しての正直な印象でいえば、「冤罪の証明」部分は、事実の丹念な掘り起こしに基づいたしっかりした記録だと言えるでしょう。ただ、それぞれのエピソードごとにちょっと装飾的な作者の感情・感想の記述が添えられているのですが、その空疎に感じられる表現はかえって興覚めでしたね。残念です。
“堕落”をキーワードとして描いた被害者の実像のパートについては、巻末近くの精神科医との対話に象徴されるように、かなり短絡的であり、逆にステレオタイプ的思考の反映ともいえる内容だったように思いました。
その対話の中で、佐野さんはこう疑問を呈しています。
(p531より引用) この事件に対する女性の関心は非常に高いですね。とりわけ高学歴のキャリアウーマンといわれている女性の関心が高い。人ごととは思えない、といってくる女性もいます。なぜ、女性たちはこの事件にこれほど強い関心を向けるんでしょうか。
まさに、この切り口が “本件の特殊性の発露” でしょうから、この命題の回答を事実の掘り下げにより顕かにしない以上、本事件の本質的な精神性の解明というドキュメンタリーのゴールには届かなかったと言わざるを得ません。
ただ、これは酷な言い様でしょう。“真実” を求めて被害者本人に迫りたくても、もうそれは不可能なのですから。