サスペンス・タッチの作品ですが、全編沈鬱な感じで、
いつも聴いているピーター・バラカンさんのpodcast番組に著者の古川英治さんがゲスト出演していて紹介された著作です。
古川さんは日本経済新聞モスクワ特派員の経験もあるジャーナリストです。
今も続くウクライナへのロシア侵攻開始時には、まさにウクライナ人である奥様とキーウに在住。その後も現地での取材活動を通して、「自由」を堅守しようと戦うウクライナの人々の現実の姿を伝え続けています。
本書に記されている迫真のエピソードの数々はどれも心に刺さるものだったのですが、それらの中から特に印象に残ったところをいくつか書き留めておきましょう。
ロシア侵攻時に古川さんが直面した最大の悩みは「キーウから避難しようとしない妻の強い決意」でした。しかし、これは古川さんの奥さんだけの特異な考え方ではありませんでした。
防空シェルター内での古川さんと現地の方との会話です。
(p36より引用) 「みなさんは西部や外国に退避することは考えていないのですか」
すると14年にロシアが侵攻した東部ドンバス地方からキーウに移住したという女性が、みなを代表するように答えた。
「もうどこにも逃げない。ここが私の祖国なのだから」
みな、うなずいていた。
そして、侵攻開始後2年が経っても、ロシアの軍事行動は続きます。直接的な都市への攻撃は、ブチャのように制圧した都市住民への抑圧(ジェノサイド)をもたらしていますし、基幹インフラ施設の破壊は、ウクライナに残る人々の生活基盤に壊滅的な影響を及ぼしています。
2022年11月26日、キーウで催された「ホロドモール犠牲者追悼式」に母親とともに参加した14歳の娘ソフィアは、古川さんにこう語りました。
(p255より引用) 「また同じことが起きています。ロシアは子供や幼齢者も構わず殺している。いまは発電施設を破壊していて、今度はウクライナ人を凍え死にさせようとしているのかもしれません・・・キーウもしょっちゅう停電になっているけど、電気も暖房も水もない地域があって、私たちよりももっと大変な目にあっている人々がいます」
今、2024年2月、侵攻開始から丸2年が過ぎました。直近の報道によると、物量に勝るロシアが攻勢との戦況のようです。
本書で古川さんが伝えるウクライナの現実を思うと、ウクライナの人々の「自分たちの自由を守り抜こうという強い決意」が、何とか一日も早く報われることを心底願います。
まずは “停戦” という形でいいので。
かなり以前に読んだ内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “浅見光彦シリーズ” の制覇にトライしてみようと思い始ました。
この作品は「第19作目」です。
今回の舞台は “軽井沢”。軽井沢そのものへの出張はありませんが、プライベートで何度か訪れています。
ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、内田さんのもうひとつの人気シリーズ「信濃のコロンボ」の主人公竹村岩男警部も登場する珍しいコラボ作品です。本作で初めて二人が顔を合わせた設定ですが、適度な絡み方でよかったですね。
ストーリー自体は、一昔前、昭和の香りがする展開でしたし、謎解きの「小道具」もちょっと時代がかっているので、好みは分かれるでしょう。
さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら” です。
次は「佐用姫伝説殺人事件」ですね。
いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみました。
武田砂鉄さんの著作は、以前「マチズモを削り取れ」「べつに怒ってない」の2冊を読んでいるのですが、その論旨には、概ね同意するところとちょっと違うかなと感じるところが合い混じっていた印象があります。
とはいえ、気になるライターさんではあるので本書も手に取ってみたという次第です。
期待どおり数々の興味深いコメントや洞察がありましたが、それらの中から特に私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきましょう。
まずは、「学ばないほうが」という小文から。
政治家自身の発言の中で顔を出した “ホンネ” のフレーズを問題視され、その釈明をするにあたってありがちな情景。
(p104より引用) 言い訳が貧相だと重大な物事まで貧相に染められてしまう。結果、問われることなく、同様の出来事が温存されていく。
特に昨今の政情で見られるのですが、問題事象に対して、学校や職場ではあり得ないような理屈にもならない「低次元の言い訳」を真顔で繰り返されると、こちら(批判する側)の方も、あまりにも話にならず、「同じ土俵で、問題点を共有しての真摯な議論」ができなくなることがあります。
さらには、ひとつの不祥事のケリがつかないうちに、次々と問題行動が続発するので、全ての追及が “尻切れトンボ” 状態で漂ってしまうのです。
そこでは、ひとつひとつ片づけていこうとすると「まだ、そんなことを問題視しているのか」といった不当な批判を受ける・・・、不正を行っている側の開き直った態度が “大人の対応” なのだと言わんばかりの風潮。もちろんこういった「社会の劣化状態の結果的な黙認や見逃し」は決して許されることではないはずです。
もうひとつ、「決めるのは自分」から。
TBSラジオで永六輔さんと野坂昭如さんが、近しい人を空襲で亡くした戦争体験を語りつつ、そういった体験が戦争を知らない世代にも語り継がれることを信じていたとの話を受けて、永さんの番組で長年アシスタントを務めた長峰由紀さんのことばです。
(p236より引用) 「だって、それしかないじゃないですか。それ以外にないじゃないですか。語り継いでいくしかないんです。難しくなっていくのかもしれません。体験してない人間が言うのはおこがましいというような言い方もありますが、そんなこと言ってる場合ではないと私は思います。語っていいんだと思います。だって、私、永さんから聞きましたから」
そのとおり、実際に体験していない人が語り継ぐことは、なんらおこがましいことでもないし、むしろとても大切な決意だと私も思います。
さて、最後に本書を読み通しての感想です。
このところラジオやSNSを通じてその言動が気になっている武田さんの最近の本なので、かなり楽しみにしていたのですが、武田さん個人をモチーフにしたエッセイは、正直なところ、期待していたほどには、今ひとつ私には響かなかったですね。
もちろん、いくつかの小文で武田さんらしい視点や思索に触れることはできたのですが、やはり最近の時勢を鑑みるに、武田さん一流の “真っ当な社会批判” をもっとストレートに目にしたかったという想いが残りました。
そのあたりの切れ味はちょっと物足りなく残念でしたね。