かなり以前に読んだ内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “浅見光彦シリーズ”の制覇 にトライしてみようと思い始ました。
この作品は「第11作目」です。舞台は “新潟県” と “静岡県”。
新潟県は、新潟市や燕三条、静岡県は、御殿場、伊豆、清水などには、仕事関係の出張やプライベートのドライブ等で訪れたことがあります。シリーズの中では本作以前にも、静岡県は伊豆に関りのある「天城峠殺人事件」、新潟県は「佐渡伝説殺人事件」がありますね。
ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、この作品は、本シリーズに期待する私の美意識?からすると少々気になるところが目につきました。
たとえば、陽一郎の関わらせ方。
刑事局長の “威光” により助けられる程度は “お決まりの作法” としていいのですが、本作では、推理そのものや犯人確保という重要局面で「陽一郎からの情報や支援」が今までになくあからさまでした。
もうひとつ、“アンフェア” な手段。
容疑者を揺さぶるのに「鎌をかける」ことは否定しませんが、犯人を最終的に追い詰めるフェーズでこれを決め手にするというのは “相手の自滅を誘う” ものであり、謎解き放棄に等しいように思います。
浅見光彦にしては、ちょっと残念ですね。
さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら” です。
次は「鏡の女」です。
ちょっと前に、鴻上尚史さんによる「人間ってなんだ」「人生ってなんだ」というエッセイ集を読んでいます。
それらは、鴻上さんが20年以上にわたって「週刊SPA!」に連載していたコラムから、これはというものを選りすぐって書籍化したものですが、本書は、その流れの第3作目です。
今回のテーマは「世間」。
昨今流行りの “同調圧力” “忖度” といった日本独特の風土を、鴻上さん一流の感性が数々のエピソードを通して掘り起こしていきます。
今までも、鴻上さんは自身の多くの著作で、“日本人における「世間と社会」” についていろいろな切り口で論じていますが、本書では、たとえばこんな感じです。
(p127より引用) 今、「世間」は中途半端に壊れて、私達を守ってくれなくなりました。そのため、「社会」と会話する技術を身につけることが苦しみを和らげ、生き延びる最も重要な方法だと思っているのです。
日本人は、身近な “世間” の中では話せても、外部環境である “社会” と交流する方法は知らないという指摘です。
あと、もうひとつ take note。
これは同じような内容を別の本でも目にした覚えがあるのですが、第二次世界大戦時のCIA資料と伝えられている「サボタージュ・マニュアル」からの抜粋です。
(p40より引用)
●「注意深さ」を促す。スピーディーに物事を進めると先々問題が発生するので賢明な判断をすべき、と「道理をわきまえた人」の振りをする。
●可能な限り案件は委員会で検討。委員会はなるべく大きくすることとする。最低でも5人以上。
●何事も指揮命令系統を厳格に守る。意思決定を早めるための「抜け道」を決して許さない。
●会社内での組織的位置付けにこだわる。これからしようとすることが、本当にその組織の権限内なのか、より上層部の決断を仰がなくてよいのか、といった疑問点を常に指摘する。
・・・
●文書は細かな言葉尻にこだわる。
●重要でないものの完璧な仕上がりにこだわる。
●重要な業務があっても会議を実施する
・・・
●業務の承認手続きをなるべく複雑にする。1人で承認できる事項でも3人の承認を必須にする。
●全ての規則を厳格に適用する。
・・・
どうですか?これが、CIAの前身組織が、「敵国の組織をダメにするために実行しろ!」と定めたマニュアルの一部なのです。
今、日本でこのマニュアルに当てはまらない組織は本当に少ないと思います。大企業やお役所になればなるほど、ずっぽりとこのサボタージュ・マニュアルを実行しているはずです。
ちょっと長い引用になりましたが、この列挙は見事です。
しかし、絶対 “変” ですよね。こんなことに躍起になっているのは。
こういった “おかしなしきたり” をなくすのは、実はとても簡単なのです。「変だから、変えよう!」と実質的に権限のある人が決めて指示すればいいだけです。あるいは、「変だから、やめよう!」と変だと思った人がこのしきたりを破ればいいのです。
ただ、それが何故だかなかなかできない・・・。そこに、まさに鴻上さんが問題視している “世間と社会” の相克という命題が横たわっているのだと思います。
今、書店の棚には和田秀樹さんの著作が何種類も平積みされていますね。
どの本も、急速に進展する高齢化社会における我々の生き方のヒントを説いたものです。おそらくそれらの内容の8割9割は同じようなメッセージが語られているのではと想像しますが、それが悪いというわけではありません。しっかりしている本であればあるほど、著者の主張は不変のはずですから。
本書ですが、巷に溢れる和田本の中からまずは何を読もうかと思っていたところ、通勤途上に聴いている茂木健一郎さんのpodcastの番組で,ちょうど著者の和田さんが本書の紹介をしていたので、まずは「この本から」と思い手に取ったものです。
第一章は、80歳を越えた高齢者を対象とした医療のあり方がテーマ。
その中で「検査数値重視の弊害」が取り上げられています。
例えば「高コレステロール」。私も検査でコレステロール値が高かったので、毎日、処方された薬を飲んで数値を下げています。
(p68より引用) なぜ医師は、血圧や血糖値やコレステロール値を下げようとするのか?
答えは、アメリカ型の医療原則を適用しているからです。
アメリカ人の死因の第1位は心筋梗塞で、血圧や血糖値やコレステロール値を下げることが長寿につながります。ところが日本人の死因の第1位はガンであり、アメリカとは事情も病気の構造も違っています。それなのに、わざわざアメリカ型を取り入れている。これもおかしな話だと思いませんか?しかし、それが日本の医療の現状なのです。
和田さん曰く、「コレステロールは免疫細胞の材料となるため、コレステロール値が高いほどガンになりにくいという調査データもある」とのこと。そうだとすると、コレステロール値を下げることは動脈硬化には効果的であっても、かえってガンのリスクは高まることになりますね。
こういった綜合的・俯瞰的な考え方は、“臓器別診療” 重視の視点からは生まれ難いものでしょうし、ある程度の年齢になったら「手術はしない」「薬は飲まない」という和田さんの基本姿勢が表れた指摘ですね。
第二章以降は、高齢者専門の精神科医として長年高齢者医療に携わっている和田さんからの多彩なアドバイスが紹介されています。
私、80歳に届くにはまだ少々時間があるのですが、とはいえ「初老」といわれても不自然ではない年恰好になってきました。“適度な運動” に努め、“嫌なことは我慢せず、好きなことをする” ・・・、そろそろそういう準備をし始めましょうか。
ただ、そのための原資を振り返ると心もとないのです・・・。
いつも聴いている茂木健一郎さんのpodcastの番組に著者のタカサカモトさんがゲスト出演していて紹介していた著作です。
内容は、“自分の時間を生きる” というライフスタイルを実践しているタカさんの、今に至るまでの多彩で痛快なチャレンジの様子を綴ったエッセイです。
メキシコやブラジルでの経験、ネイマールとの出逢い等、とても刺激的なエピソードが満載だったのですが、本書を読み通して、やはりこれだけは書き留めておくべきだと思ったのは、タカさんの人生に最も影響を与えた大学恩師小松美彦教授の言葉でした。
東京での学生生活で “東京の時間” と “鳥取の時間” とのあまりの違いに苦しんでいたタカさんの悩みに、小松教授はこうアドバイスしたそうです。
(p35より引用) 「苦しむっていっても、君がいま苦しいっていうのは、自分の外側を流れてる東京の時間に無理して合わせようとするからだろう?それは君の中に流れてる鳥取の時間とは異なるわけだから、苦しくなるのは当然だと思うよ。そうじゃなくて、君は君の内側に流れてる自分の時間を生きればいい。好きなときに好きな本を読み、好きな場所で好きな人と会う。ただし、そうすれば必ず外側を流れる時間とはズレていくから、その狭間で苦しむことになるけれど、そういう苦しみなら、むしろ、徹底して苦しみ抜いたほうがいいと思う。
“自分の時間を生きる” これは「時間」だけに止まりません。考え方・生き方、自分にとって本当に大切なものはなにか、そういった “価値観の持ち方” の話でしょう。
「周りの人や社会に合わせようとして苦しむのではなく、自分の価値観を貫こうとして苦しむ」ことを選ぶ。自らの心の持ちようを大切にする “悩みの立ち位置の転換” の勧めですね。
かなり以前に読んでいた内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “浅見光彦シリーズ”の制覇 にトライしてみようと思い始ました。
この作品は「第10作目」です。
舞台は “福島県”と“島根県”。いずれも仕事関係の出張はありません。プライベートでは、福島は「Jヴィレッジ」と「会津・磐梯」あたり、島根は「津和野」を訪れたことがあります。
ネタバレになるとまずいので内容には触れません。
私には、ちょっと事件のカギとなる “小道具” がマニアック過ぎたようで、あと、ヒロインの登場シーンも取って付けたような感じがして、このシリーズにしてはスマートさという点で今ひとつといった印象でした。
ちなみに、ストーリーとはまるで関係ない “浅見光彦トリビア” をひとつ。彼のトレードマークのひとつ愛車の「ソアラ」ですが、この作品のなかで初めて登場したようです。
(p86より引用) 浅見は最近、3ナンバーのソアラに乗り換えた。五百万という外車なみの価格と、むこう三年間のローンは憂鬱だが、さすがに性能も乗り心地も抜群で、福島までの距離も苦にならない。
さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら”です。
次は「漂泊の楽人」ですね。