著者は、いかりや長介さん。私の年代で「いかりや長介」さんといえば、やはり小学生のころ欠かさず見ていたTBS の“8時だョ!全員集合”の印象が強烈ですね。本書は、そんないかりや長介さんによる “自伝”です。わくわく気分で読んでみました。
まず、なるほどと思ったのは「ドリフターズの笑いのパターン」の誕生について語ったくだりです。
初期のドリフターズのコントのネタは、全ていかりやさんが搾り出していたものでした。その役割はそれ以降ずっと続くのですが、ドリフターズのメンバが固定化されそれぞれの個性が定型化してくると、ネタの考案方法も変わってきたというのです。
(p104より引用) こうしてドリフの笑いの構図が出来上がっていった。私という強い「権力者」がいて、残りの四人が弱者で、私に対してそれぞれ不満を持っている、という人間関係での笑いだ。嫌われ者の私、反抗的な荒井、私に怒られまいとピリピリする加藤、ボーッとしている高木、何を考えてるんだかワカンナイ仲本。メンバー五人のこの位置関係を作り上げたら、あとのネタ作りは楽になった。・・・
ドリフの笑いの成功は、ギャグが独創的であったわけでもなんでもなくて、このメンバーの位置関係を作ったことにあるとおもう。
このパターンの転機は、荒井注さんが脱退して志村けんさんが新たなメンバーとして加わったときでした。
(p105より引用) 荒井が抜けたとき、ドリフの笑いの前半は終わったという気がする。メンバーの個性に寄りかかった位置関係の笑いだから、荒井の位置に志村けんを入れたからといって、そのままの形で続行できるものではなかった。・・・だから志村加入以後は、人間関係のコントというより、ギャグの連発、ギャグの串刺しになっていった。
この変遷は、“8時だョ!全員集合”の最初のメインコントを思い起こしても、確かにそうですね。
大がかりな造作を使った生放送でのコントを柱に、アイドル歌手への適度な“いじり”。“8時だョ!全員集合”という番組は、当時プロ野球全盛のころ、その裏番組であったにも関わらず驚異的な視聴率を稼ぎ出したモンスター番組でした。
しかし、時を経るにつれ、花形番組も他局のバラエティー番組の後塵を拝するようになります。この盛衰の期間、一貫してマネージャとしてドリフターズを支えたのは井澤健氏でした。いかりやさんの井澤氏への信頼は絶対的でした。
(p211より引用) 井澤は私たちを知り尽くしていた。つまり、私たちがクレージーキャッツの面々と違い、優れた芸人の集団ではなく、所詮二流以下のバンドマンの寄せ集めであり、そんなドリフがテレビの番組を続け、生き残っていくには、時間をかけてネタを作り込んでいくしかないことを誰よりも熟知していた。
とはいえ、やはり「チームとして」のドリフターズの限界も、井澤氏は見通していました。いかりや氏に俳優の道を紹介したのが、その皮切りでした。
(p213より引用) 井澤は、むろん私だけではなく、メンバー五人の新しい仕事の割り振りをした。五人の仕事が競合しあわない、バッティングしない、見事な舵取りを見せた。
さて、本書を読んで、最も印象に残ったところを最後に書きとめておきます。
それは、「あとがき」の冒頭で記された「この本を書くに至った動機」を紹介したくだりでした。
(p247より引用) 私は元来、こういう種類の文章を残すほどの人間ではない。もうそろそろ古希になろうかという歳だが、いまだに四流のミュージシャン、四流のコメディアン、四流のテレビ・タレントにすぎない。卑下でも何でもなく、それ以上であったことはない。自分ごときが何様の分際で「自伝」か、などと思ってしまう。
そういういかりやさんの気持ちを変えた契機は、いかりやさんの友人であり、師匠であり、同志であった荒井注さんとジミー時田さんが相次いで亡くなったことでした。
(p249より引用) あいつらと私は確実に人生をともにした時期がある。時田と荒井。二つの青春のようなものが私の記憶にはある。このまま、私がぽっくりとあとに続けば、あいつらの青春は何も記録に残らないで、日一日と風化して行くに違いない。それでは、あいつらの頑張りが無駄になっちまうような気がして、何とも申し訳ない気がしてきた。あいつらのこと、あいつらと生きた時間のこと、それらは私が書き残しておかないといけないのかもしれない・・・。そう思うようになった。・・・
結局、私は彼等に導かれて己れの人生を振り返ることになっていった。たったこれぽっちの、なりゆきまかせの四流の人生を。
いかりやさんの朴訥とした心優しい人柄が溢れていますね。
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