「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」ということばかりが有名な「葉隠」ですが、そのコンテンツには、実務的な箴言・教訓が数多く含まれています。
(p68より引用) 世に教訓をする人は多し。教訓を悦ぶ人はすくなし。まして教訓に従ふ人は稀なり。年三十も越したる者は、教訓する人もなし。されば教訓の道ふさがりて、我儘なる故、一生非を重ね、愚を増して、すたるなり。故に道を知れる人には、何とぞ馴れ近づきて教訓を受くべき事なり。
「傍目八目の効用」「翌日の予定の立て方」「酒の席の作法」「奉公人の心構え」・・・、果ては「欠伸の止め方」まであります。
山本常朝が「葉隠」で伝えようとしたものは、(決して後ろ向きの死生観を語るものではなく、)現実世界での前向きな姿勢を勧める至極真っ当な気構えです。
(p141より引用) 大難大変に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり。一関越えたるところなり。「水増されば船高し。」といふが如し。
また、その言い振りは決して高みに立った物言いではありません。
たとえば「人への忠告の仕方」はこんな感じです。
(p41より引用) 意見の仕様、大いに骨を折ることなり。・・・そもそも意見と云ふは、先づその人の請け容るるか、請け容れぬかの気をよく見分け、入魂になり、此方の言葉を平素信用せらるる様に仕なし候てより、さて次第に好きの道などより引き入れ、云ひ様種々に工夫し、時節を考へ、或は文通、或は雑談の末などの折に我が身の上の悪事を申出し、云はずして思ひ当る様にか、又は、先づよき処を褒め立て、気を引き立つ工夫を砕き、渇く時水を飲む様に請合せて、疵を直すが意見なり。されば、殊の外仕にくきものなり。・・・諸朋輩兼々入魂をし、曲を直し、一味同心に主君の御用に立つ所なれば御奉公大慈悲なり。然るに、恥をあたへては何しに直り申すべきや。
相手の立場を慮った思いやり溢れる対応です。
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