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正解信仰 (知的複眼思考法(苅谷 剛彦))

2005-11-06 13:10:11 | 本と雑誌

(p50より引用) 議論をしていてわからないことがあると「よく勉強していないのでわかりません」と弁解する学生がいます。自分で分からないことにぶつかると、勉強不足・知識不足だと感じてしまうのです。・・・「知らないから、わからない」という勉強不足症候群の症状は、正解がどこかに書かれているのを見つければ、それでわかったことになるという正解信仰の裏返しです。

 ひとつの問題は、ここでの「勉強(不足)」の対象が何かということです。
 勉強の対象が「インスタンス」だけなのか、「プロセス」「リレーション」も含んだものなのか。

 実データだけ貯めこんだ頭からのアウトプットは「完全一致」した結果物だけです。すなわち、インプットしたAに対して「合致したA」を出力して満足してしまいます。

 「考えるプロセス」をいくつももっていれば、Aというインプットから、AはもちろんA´やa、α、あ・・・といったAの変化形はもちろん、B→C→Dといった発展系のアウトプットも得られるのです。

(p52より引用) 「知識があればわかる」とか、「調べればわかる」といった、知識の獲得によってすぐに解決できるような問題ではなく、どうすれば知識と思考とを関係づけることができるか-簡単にいうと、知っていることと考えることとを結びつけるやりかたの問題です。

 「どこかにある答を探し出す」のと、「どこにもない答を考え出す」のとは全く別物です。
 前者は、他人の足跡を辿ることですが、後者は自分で道を拓くことです。

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