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紳士君と豪傑君 (三酔人経綸問答(中江兆民))

2009-03-26 22:47:18 | 本と雑誌

 中江兆民(1847~1901)は、明治期の自由民権思想家・評論家で、ルソーの社会契約論・人民主権論などを紹介、東洋のルソーと呼ばれました。

 タイトルにある「経綸」とは、注によると「たかい理想や識見に立脚して天下国家の政治をおこなうこと」との意味だそうです。

 本書は、今でいう政治評論家?である南海先生のもとを、洋学紳士氏と豪傑氏が尋ね、お酒を酌み交わしながら天下国家を論じあうという設定です。

 洋学紳士氏は、いわゆる進歩派です。国防に対しては非武装の立場です。

 
(p14より引用) 小国のわれわれは、彼らが心にあこがれながらも実践できないでいる無形の道義というものを、なぜこちらの軍備としないのですか。自由を軍隊とし、艦隊とし、平等を要塞にし、博愛を剣とし、大砲とするならば、敵するものが天下にありましょうか。

 
 また、社会制度としては「自由」と「平等」を重んじます。

 
(p39より引用) 政治的進化の理法をおしすすめて考えると、自由というもの一つだけでは、まだ制度が完全にできあがったとはいえないので、そのうえ平等が得られて、はじめて大成することができるのです。

 
 洋学紳士氏は、自由と平等の確立の程度に応じて、政治制度も3つの段階で進化してゆくと主張します。
 政治的進化の理法の第一歩が「君主宰相専制」、第二歩が「立憲政治」です。

 
(p40より引用) 王室が全国民のうえにいかめしく立ち、代々世襲制・・・というわけで、平等の大義がまだ完全ではないから、イギリス人のうちでも進んだ思想をもち、理想主義の連中のなかには、もう一歩進んで、自由の原理のほかにさらに平等の原理をも合せもつことによって、民主制を採用したい、と熱望するものがすこぶる多い。

 
 ということで、第三歩がゴールである「民主制」ということになります。

 洋学紳士氏は、世界中を、「国」という分けすらなくした「一個の大きな完全体」に仕上げるものとして「民主制」を礼讃します。ここにおいて、民主制は、非軍備・非抵抗主義につながるのです。
 同じ人民なのだから、相争うべきではないとの考えです。

 さて、守旧派である豪傑氏の反論が始まります。

 
(p60より引用) 哲学思想が人の心を盲にするといっても、こんなにまでひどかろうとは。紳士君がこの数時間しゃべりまくって、世界の形勢を論じ、政治の歴史を述べられたが、ぎりぎり決着の奥の手といえば、国中の人民がみな手をこまねいて、いっせいに敵の弾丸にたおれるというだけのこと。なんというお手軽な話です。有名な進化の神のご霊験というのは、要するにこんなことだったのですか。さいわいにして私は、ほかのおおくの人々が、この神のお慈悲にはけっして頼らないのを知っています。

 
 豪傑氏の説は、ヨーロッパ諸国が軍事競争に専心しているときを捉えて、日本もアジア・アフリカへ進出して列強と並び立つ大国となるべきとの考えです。
 
 

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