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晩年に想う (1) (アインシュタイン)

2005-09-19 00:11:41 | 本と雑誌

(p37より引用) あらゆる個人が、自らの内に潜んでいるかもしれない天与の才能を、発展させる機会をもたねばならない、ということです。このようにしてこそ初めて、個人は正当に享受すべき権利のある満足を得ることができます。またそのようにすることによってのみ、共同社会はもっとも豊かな繁栄を達成することができるのです。・・・
 我々が個人や諸集団のあいだの差異に寛大であるばかりでなく、まさにその差異を歓迎し、それを我々の生存を豊かならしめるものと見なすべきだ、・・・それが、真の寛容すべてに通じる本質です。このもっとも広い意味における寛容がなければ、真の道徳性という問題はありえません。

 差異のあることはむしろ喜ぶべきことで、積極的な意味で人間社会を豊かにするとの主張です。アインシュタインは、そういう自由・多様性への寛容を何にも増して重要だと考えていました。

 この本から私が感じたのは、アインシュタインは大きく異なる2つの生涯を過ごしたのではないかということです。
 「相対性理論の提唱に代表される科学者としての壮年期」と「世界政府設立を訴え続けた政治行動家としての晩年期」です。

 この大いなる変身の分水嶺になったのが、第二次世界大戦であり、とりわけ広島・長崎への原子爆弾の使用でした。「O weh!(ああ悲しい!)」広島に原爆が投下されたことを知ったとき、彼はそう叫んだと伝えられています。

 1945年12月「戦争には勝ったが平和はこない」と語り、「最新の原子爆弾は、広島の都市以上のものを破壊してしまった。われわれに、こびりついた時代遅れの政治観念をも、吹き飛ばしたのである。」として、終戦直後から「世界政府」設立に精力を注ぎ始めたのでした。

 「世界政府」による平和の実現というアインシュタインの主張は、当時の国際政治の現状から見るとあまりに直線的で理想的なものでした。また、「世界政府」による平和実現の具体的方策は、核保有を前提とした核抑止理論を基礎においていました。その点においては、私は彼の主張に100%同意をするものではありませんが、彼の平和を望む想いは、この上なく純粋で堅固なものであったことは間違いありません。

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