いつも聴いているピーター・バラカンさんのpodcast番組に著者の辻信一さんがゲスト出演していて紹介された著作です。
辻さんは文化人類学者で「スローライフ」の提唱者でもあります。
昨今の「コスパ」「タイパ」という言葉に象徴されるような “効率化重視の生活” のアンチテーゼとしてどんな議論が提示されているのか興味を抱いて手に取ってみました。
期待どおり、なかなか面白い議論が紹介されていたのですが、それらの中から特に印象に残ったところをいくつか書き留めておきましょう。
まずは、本書のテーマである「ムダ」の意味づけについて語っているところからです。
(p25より引用) 「ムダ」というのは、いつでもある特定の視点からの、ひとつの価値判断にすぎない、ということを覚えておこう。それがある時空間の文脈のうちで、いかに優位で特権的な地位を占める視点であったとしても。ムダと断定されたモノやコトやヒトのなかに、その視点をすり抜ける、ほかの誰かや何かにとっての価値が、いや誰にも予想できない何らかの可能性があり得るのだ。
もうひとつ、この「ムダ」ですが、しばしばその対立概念として「役に立つ」ということがいわれます。“役に立たないものは「ムダ」” だといった言い方が代表的です。
こういった考え方について、辻さんはこう捉えています。
(p190より引用) ぼくは「ムダ」と「役に立つ」を対立するものと見ているわけでもないし、「役に立つ」を否定しているわけでもない。逆に、両者を対立としてみる見方こそが、問題だと考えている。「役に立つ」ことを絶対視して、一見、役に立たないように見えるものを「ムダ」として切り捨てるようなやり方に「NO!」と言っているだけだ。
教育においても、「役に立つ」ことが重要なのはもちろんだ。しかし、「役に立つ」が独裁的な権力を得て、そこから外れる「モノ」「コト」「ヒト」を排除するようになったら、どうだろう。それがまさに、試験に役立つ勉強や、就職に役立つ進学、お金儲けに役立つ授業・・・・・・などが席巻しているいまの日本なのではないか。
そして、「終章」で示されるのが、辻さん流の “愛の定義” です。
「愛とは相手のために時間をムダにすること」。
(P235より引用) 「あなたは効率的に愛されたいですか?」
この自問のインパクトは強烈でした。
さて、最後に本書を読み通して一番印象に残った30年以上環境運動家として活動してきた辻さんの台詞を書き留めておきます。
(p150より引用) ぼくたち人類を絶望的な窮地に追いこんた要因は、自分たちもその一部である自然をただのモノと見なし、役に立つものと役に立たないムダなものとに分けるような態度だ。そのあげくに、ぼくたち人間は自然界にとっての厄介者、つまりできればないほうがいい、ムダな存在に成り果てている。
厳しい言葉ですが、現実ですね。
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