「暮しの手帖」という雑誌、名前はもちろん知っていますが、読んだことはありませんでした。
本書は、「暮らしの雑誌」で人気の連載ものを単行本化したものとのこと。今回は、以前の会社で同僚だった方のお勧めだったので手にとってみました。
著者の佐藤雅彦氏は、NECの「バザールでござーる」等いくつもの話題CM制作やNHK教育テレビの番組監修等も手掛けているメディアクリエータです。
さすがに、事象を捉える感性は鋭く、その視点・切り口はとてもユニークです。
たとえば「おまわりさん10人に聞きました」という小文では、著者は、おまわりさんが担当区域の地図をどうやって持ち歩いているのかに注目しています。
ある人は帽子の中、またある人は内ポケットと様々です。若手かベテランか、担当地区が広いか狭いか等によって何となく傾向があるようですが、こういった姿を捉えて著者はこう語っています。
(p32より引用) 私は、その人その人なりの創意と工夫が大好きです。人間は、ひとりひとり違った暮らしを持っており、世の中に製品として流通しているモノがいくら多くとも、我々人間の暮らしの多様性を網羅できる訳ではありません。そこに個々人の知恵と工夫が入り込む余地が多く生れます。・・・私が好きなのはその便利さはもとより、それを考えついたり行ったりすること自体が、とても人間的で、暮らしを生き生きさせるということなのです。
著者はこういった「創意工夫している人々の姿」をみて、その素直さに喜びを感じているのです。
もうひとつ、「一敗は三人になりました」という章では、「情報の摂取」について語っています。
(p257より引用) 私たちが生きていく過程で必要なのは、すでに分かりやすい形に加工されている情報を摂取し、頭を太らすことでなく、情報という形になっていない情報を、どのくらい自分の力で噛み砕き、吸収していくかということなのである。それは、うまく世の中を渡れる知識を手っ取り早く獲得することとは一線を画し、いかに自分が人間として、生き生きとした時間を開拓するかということにつながっているのである。
ソーシャルメディア全盛の今日、誰もが玉石混交の情報を受け取りまた発信することが極めて容易になりました。著者は、そういう雑多な情報群の中から、発信主体が「意思をもって情報処理」していない生の情報に当たること、そして、それを自分のCPU(頭)で意味づけすることの大事さを指摘しています。
そして、ここで特に著者のユニークな点は、そういう行動が「人間としての時間を開拓する」ことだと捉えているところです。
自らが主体となり、手に入れた情報に意味づけを与えるための処理時間を、そんなふうに位置づける発想は、これまたなかなか面白いと感じました。
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