
いつも聴いている大竹まことさんのpodcast番組に著者の東畑開人さんがゲスト出演していて紹介していた本です。
臨床心理士として、メンタルの悩みを抱える本人はもとより、突然にそういった身近な人のケアをし始めた人たちのカウンセリングに携わっている東畑さんの話はとても興味深い内容なのですが、それらの中から特に私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきます。
まずは、東畑さんが語る「こころのケア」の話に登場する基本概念、「ケア」と「セラピー」についてです。
ケアとは何か?
・ケアとは傷つけないことである
・ケアとはニーズを満たすことである
・ケアとは依存を引き受けることである
では、セラピーとは何か?
・傷つきと向き合うのがセラピー
・セラピーとはニーズを変更することである
・セラピーとは自立を促すことである
そして、ケアとセラピーとの関係は?
・ケアが先で、セラピーが後
・ケアがないところでのセラピーは暴力になる
(p58より引用) ひたすら自分と向き合え、あなたが頑張れと言われると、死んじゃうよね。
セラピーは、ケアが十分に足りているときにのみ可能になります。
傷だらけのときに、傷つきと向き合えと言われたならば、身動き取れなくなります。
この順序性と塩梅が重要で、このプロセスを経ることで “信頼” や “安心感” が醸成されるのです。
そして、ケアのあとセラピーで一歩進んだら、またケアが登場します。このスパイラルでこころが回復していくのだと言い、昨今のセラピー偏重を生む “自己責任論” に対し「ケア」の重要性を東畑さんは強調するのです。
ふたつめ、東畑さんは、こころのケアの方法として「きく」と「おせっかい」を挙げています。
そのうちの「おせっかい」についての勘所です。
(p214より引用) ①ニーズを満たすのが助かるおせっかい、ニーズ以外のものを押し付けるのは余計なお世話。
② 環境を変えるのが助かるおせっかい、本人を変えようとするのは余計なお世話。
おせっかいにはこの二つの軸がある。
こころのケアに入る前に「即物的なおせっかい(環境整備)」が必要だということです。それなしでは “心のケアを受け入れる状態” に至らず、むしろ “きこう(聞こう・聴こう)とすることが、かえって相手を傷つける” ことになってしまうのです。
さらにもうひとつ、「ケアしている自分をケアする技術」について。
「贅沢」「勉強」「休養」「友達」と続いて、最後に東畑さんが挙げたのが「ふりかえり」です。自分がやっているケアをふりかえること、その結果 “よくなっていることを認識できればいい” のですが、その感覚の実際について東畑さんはこうコメントしています。
(p306より引用) よくなっているところ「も」ある。
この「も」が本当に本当に貴重だと思うんですよ。・・・
もちろん、無理にポジティブになる必要はありません。
ケアとはネガティブなものと向き合うことなのだから、変にポジティブに解釈することは相手を否定することだし、自分に嘘をつくことになってしまう。これは有害です。
でも、晴れ間が覗いた時間があったこと「も」事実なんですね。そういう現実は現実として、きちんと評価し、受け取るべきだと思うんです。
「完璧」は目指しません。この「・・・も」という僅かな晴れ間がとても大切な励ましになるんですね。
さて、とても多くの気づきが得られた本書ですが、読み通して、最も心に残ったくだりを最後に記しておきましょう。
(p310より引用) こころのケアとは、ケアする人が傷ついてしまう営みでもあり、同時に癒される営みでもある。
傷ついているこころにかかわる。そのとき、ケアする人はときに傷つけられます。
傷は傷を呼ぶ。
なぜなら、傷つけることを通じてしか、自分の痛みを伝えることができないときがあるからです。
こういった「傷つけあい」を経て、“わからない” から “わかる” 関係に至り、結果、生まれた信頼や安心感が「ケア」の本質のように思いました。
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