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第一部から 木曾山中の苦悶 (夜明け前(島崎藤村))

2011-10-12 21:42:33 | 本と雑誌

Magome  教科書にも載っているような有名な作家の代表作品は数多くありますが、正直なところあまり読んでいません。それではまずいということで、機会をつくって少しでも手にとってみようと思っています。

 さて、今回は島崎藤村の「夜明け前」。恥ずかしながら、この歳になって初めて読みます。
 書き出しはとても有名です。

(一部上p7より引用) 木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。

 幕末から明治初期を舞台にした本作品の主人公は半蔵
 半蔵は馬籠に生まれた平田派国学を学ぶ若者でした。木曾の山中で、彼は世情の騒乱に心を惹かれ憂いを感じます。ペリーの黒船が二度目の来航を果たしたころのことです。

(一部上p87より引用) 「こんな山の中にばかり引込んでいると、何だか俺は気でも違いそうだ。みんな、のんきなことを言っているが、そんな時世じゃない。」
と考えた。

 「黒船」は、当時の日本にとってはこう映っていました。

(一部上p186より引用) 不幸にも、欧羅巴人は世界に亙っての土地征服者として、先ずこの島国の人の眼に映った。「人間の組織的な意志の壮大な権化、人間の合理的な利益のためにはいかなる原始的な自然の状態にあるものをも克服し尽そうというごとき勇猛な目的を決定するもの」-それが黒船であったのだ。

 歳を重ねた半蔵は、平田国学の学徒とともに、江戸末期の尊皇攘夷・倒幕の活動の場に身をおくことを望んでいました。しかし、それも叶わず木曾街道馬籠宿に止まるのでした。

(一部下p85より引用) これから五ヶ月もの長さに亙って続いて行く山家の寒さ、石を載せた板屋根でも吹きめくる風と雪-人を眠らせにやって来るようなそれらの冬の感じが、破って出たくも容易に出られない一切の現状の遣瀬なさに混って、彼の胸に掩いかぶさって来ていた。

 半蔵の忸怩たる思いは積もりつつ物語は進むのですが、そのストーリー展開において、当時の思想の一つの潮流であった国学や水戸学が人々に与えた影響も大きな要素になっています。
 半蔵は国学を志すものでしたが、彼は国学を復古思想としてではなく、新たな時代を拓くものとして意味づけていました。

(一部下p222より引用) 古代に帰ることは即ち自然に帰ることであり、自然に帰るとは即ち新しき古を発見することである。中世は捨てねばならぬ。近つ代は迎えねばならぬ。どうかして現代の生活を根から覆して、全く新規なものを始めたい。

 反面、攘夷という手段においては類似の方向を志向した水戸学については、こう捉えていました。

(一部下p228より引用) 武家中心の時は漸く過ぎ去りつつある。先輩義髄が西の志士らと共に画策するところのあったということも、もしそれば自分らの生活を根から新しくするようなものでなくて、徳川氏に代るもの出でよというにとどまるなら、日頃彼が本居平田諸大人から学んだ中世の否定とはかなり遠いものであった。その心から、彼は言いあらわしがたい憂いを誘われた。

 朱子学の思想から出た水戸学においては、上下の君臣秩序の枠組みを超えるものではなく、そこにおいて、自己の目指すところとは大きな相違が生じると理解したのでした。

 さて、その水戸の流れを汲む第15代将軍、徳川慶喜

(一部下p352より引用) 慶喜の意は決した。・・・あだかも高く飛ぶことを知る鳥は、風を迎え翼を収めることをも知っていて、自然と自分を持って行ってくれる風の力に身を任せようとするかのように。

 本長編の第一部は、幕末、慶喜の大政奉還をもって終わります。


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