「夜明け前」、第二部は、大政奉還以降です。徳川の時代は終わり、半蔵にとっては待ちに待った新たな時代の幕が開きました。
(二部上p158より引用) 「王政復古は来ているのに、今更、勤王や佐幕でもないじゃないか。」
寝覚の蕎麦屋で逢った時の友人の口から聞いて来た言葉が、枕の上で彼の胸に浮かんだ。彼は乱れ放題乱れた社会にまた統一の曙光の見えて来たのも、一つは日本の国柄であることを想像し、この古めかしく疲れ果てた街道にも生気のそそぎ入れられる日の来ることを想像した。彼はその想像を古代の方へも馳せ、遠く神武の帝の東征にまで持って行って見た。
とはいえ、半蔵は、未だに木曾街道の中、馬籠の宿にいます。
半蔵の本陣の前、街道を行き交う様々な人々。彼らの足取りで世情や人情を計り知ることができます。江戸に向かう諸藩混合の東山道軍の足取りは、人それぞれの思いが入り混じったものでした。
(二部上p171より引用) まったく、足音ほど隠せないものはない。あるものは躊躇いがちに、あるものは荒々しく、あるものはまた、多数の力に引き摺られるようにしてこの街道を踏んで行った。
様々な思いを引きずりながら、しかし、確実に世の中は大きく転換していきました。昨日まで「攘夷」を叫んでいた京都の空気も一変していました。
(二部上p178より引用) 「しかし、半蔵さん、今度わたしは京都の方へ行って見て、猫も杓子も万国公法を振り廻すにはたまげました。外国交際の話が出ると、直ぐ万国公法だ。あれにはわたしも当てられて来ましたよ。あれだけは味噌ですね。」
明治維新は、日本の歴史を振り返ってみても、太平洋戦争の敗戦と並ぶ「最大の転換」だったと思います。双方とも外圧が大きなきっかけになったのですが、幕末から明治維新の時代は、日本の中にも変革を望むエネルギーが充満していました。ただ、そのエネルギーのベクトルは様々でした。
(二部下p120より引用) 明治御一新の理想と現実-この二つのものの複雑微妙な展きは決してそう順調に成し就げられて行ったものではなかった。その理想のみを見て現実を見ないものの多くは躓いた。その現実のみを見て理想を見ないものの多くもまた躓いた。
半蔵は、前者でした。
そして、半蔵は遂に心を病むに至ります。最期は座敷牢の中。
(二部下p411より引用) その時になって見ると、旧庄屋として、また旧本陣問屋としての半蔵の生涯もすべて後方になった。すべて、すべて後方になった。ひとり彼の生涯が終を告げたばかりでなく、維新以来の明治の舞台もその十九年あたりまでを一つの過渡期として大きく廻りかけていた。人々は進歩を孕んだ昨日の保守に疲れ、保守を孕んだ昨日の進歩にも疲れた。
「夜明け前」、この歳になって初めて通読した藤村作品でした。自らの父親をモデルにした半蔵の生涯を経糸に、幕末から明治初期の世情を織り込んだ大作です。
今の時代、こういった作品を書き込める作家がいるのか・・・、正直、圧倒されました。
夜明け前 第二部(上) (岩波文庫) 価格:¥ 714(税込) 発売日:2003-08-20 |
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