「孫子」は、そもそも「王」のための書ではなく、「将」のための書だと思います。
「将」に対しては、厳しくも気高い気概を求めています。「非天之災、将之過也」という言葉もそうです。
(p182より引用) 敗北は決して天災ではなく、あくまでも人為の失敗だ、と突き放す孫子の言葉は、神秘的なものに敗戦の責任を転嫁しようとする甘えを許さない、冷徹な響きを持っている。
これに対し、「天の我を滅ぼすにして、戦いの罪には非ず」と叫んだのは項羽でした。項羽は、自らの敗北を自らの責に帰そうとはしなかったのです。
古代中国では、このように軍事的勝敗の原因を天の巡り合わせといった人知を超えたものに求める考え方(陰陽流兵学)が流行していたということです。が、「孫子」は、そういった非合理的な考えを一蹴したのです。
また、「孫子」が対象としていた「兵」は一般民衆からの徴兵でした。
それ以前は職業兵(身分兵士)だったので、個の技量を前提にした戦術が可能でした。しかしながら、一般民衆徴兵の場合は個々の技量に頼ることはできません。そこで軍事専門家による軍略の重要性がクローズアップされたわけです。
そこでは、兵は将が動かすべき「対象物」となります。(個人的には、最も忌むべき考え方ですが、孫子の兵法においては愚民主義なのです。)
(p221より引用) 之れを犯うるに事を以てし、告ぐるに言を以てする勿れ。・・・之れを死地に陥れて、然る後に生く。夫れ衆は害に陥りて、然る後に能く敗を為す。
その「孫子」の中で、「一般民衆」はどういうふうに考えられているのでしょう。
将の倫理を説いた「進不求名、退不避罪、唯民是保、而利合於主、國之寶也」 すなわち、
(p189より引用) 名誉や功績を欲せず、汚名や誅殺を恐れず、ただひたすら民衆の生命を無駄に失わせぬよう計りながら、君主や国家に利益をもたらそうとするのは、将軍がすでに己を全く無にしていてこそ、はじめて可能な行為である。
の論旨からみると、当時の民衆はやはり「守るべきもの」ではあったようです。
最低限の救いです。
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