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パパラギ (岡崎照男 訳)

2005-11-18 23:48:42 | 本と雑誌

 先に読んだ「知的複眼思考法」の巻末のリーディング・ガイドで紹介されていたので、久しぶりに読み直してみました。
 最初にこの本を読んだのは学生のときだったと思います。当時もかなり流行りました。このBlogをご覧のみなさんの中にも読まれた方はかなりいるのではないでしょうか。

 この本は、1920年、第一次世界大戦が終結して間もないドイツで初版が発行されました。副題は「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」とあります。

 この本で対比されているパパラギ(ヨーロッパ人)の世界とパパラギの国(南太平洋・西サモア)の世界の間には、常識や価値観の違いというか、もっと根本的なところの違い、人の心の持ち様の違いがあるように感じました。

 もちろん、どちらの世界がいい・悪いというものではありません。良し悪しは、同じ土俵の中での判断軸が基準になるからです。

 「衣服」「家や都市」「お金」「物」「時間」「所有」「機械」「職業」「新聞」「思想」・・・様々な対象についてツイアビは語っています。

 この本は、読む人によって感じたり気づいたりするところがまちまちになるはずです。人の想いの根本的なところに触れる中味だからです。

 ちなみに、私が気になったフレーズは次の部分でした。

(p53より引用) 物がたくさんなければ暮らしてゆけないのは、貧しいからだ。大いなる心によって造られたものが乏しいからだ。パパラギは貧しい。だから物に憑かれている。物なしにはもう生きてゆけない。

(p86-より引用) 職業を持つとは、いつでもひとつのこと、同じことをくり返すという意味である。・・・だからこんなこともよく起こる。たいていのパパラギが、その職業ですることのほかは何もできない。

(p92より引用) すべての職業は、それだけでは不完全なものなのだ。なぜなら人間は手だけ、足だけでなく、頭だけでもない。みんなをいっしょにまとめていくのが人間なのだ。手も足も頭も、みんないっしょになりたがっている。からだの全部、心の全部がいっしょに働いて、はじめて人の心はすこやかな喜びを感じる。

(p113より引用) 同じようにして子どもたちの頭にも、詰めこんで詰めこめるだけの思想が押しこまれる。・・・たいていの子はたくさんの思想を頭の中に積みすぎてしまい、もうどこにもすき間はなく、光さえもうさしてはこない。そしてこのことを「教育する」といい、このような頭の混乱がつづく状態を「教養」と呼び、それが国じゅう行きわたっている。

 ツイアビが語っていることは、一言で言えば「のびやかな豊かな心」を持つことだと思いますし、それは、ただただ当たり前の自然な姿のような気もします。今の時代、ストレスやフリクションがあればあるほど、そういう気持ちに共感を感じる機会は多いでしょう。

 しかしながら、今の生活の中ではツイアビのように振舞うことは(少なくとも私には)できないようです。ツイアビの価値観・世界観に諸手を挙げて賛成しているわけでもありません。
 やはり自分自身、今の時代・今の世界の内側に「視座」を置いてものごとを見たり聞いたり感じたりしているという「無意識の前提」からは逃れ得ないと思います。
 せめて、時折、「意識」して今の世界の外側に「視座」をおき、そこから眺めることにも心がけましょう。

 この本は、内容の正否・当否・是非よりも、多面的な物事の見方・感じ方・考え方に導く「刺激」としての価値をもったものです。
 そういう意味では、極めて大事な本だと思います。

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はじめてまして。m-funと申します。この本を読んで... (m-fun)
2005-11-20 20:57:26
はじめてまして。m-funと申します。この本を読んで最初に感じたことは、「はあーなるほどそういうふうに見たり考えたりするのか。」というくらいのことでしたが、その後、一部の宗教観や価値観の違いから、他の民族や国全体を忌み嫌い、自国と異なる文化・文明を認めない排他的な思想を持つことがどのような結果をもたらすことになるのか考えたりもしました。もちろん、この本がそういうことをいっているわけでもなく、またこの本やツイアビの考えの善悪を言っているわけでもありません。私自身の中にそういう排他的な考えが全くないとは言い切れず、少なくともこの本を、私の中にあるであろう排他的な考えに対して、自省する機会を持つための材料としてとらえることも無駄ではないのかなと思いました。
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m-fun様 (思案中)
2005-11-20 23:59:19
m-fun様
 コメントありがとうございます。
 お名前はふとっちょパパさんのBlogで以前から拝見しておりました。よろしくお願いいたします。
 私も、「いろんな人がいて」「いろんな考え方があって」という当たり前のことを、時折忘れてしまいます。
 「自分と反対の視座」や「鳥瞰的な視座」に自分の立ち位置を意識的に移動させる「外的な刺激」として、こういった本は大事だと思います。
返信する
 昔、オーストラリアで原住民のアブロージニと話... (銭本三千年)
2006-10-14 16:23:09
 昔、オーストラリアで原住民のアブロージニと話し合ったことがあります。すべてが身の回りの自然と融け合い、自らもその一員として客観化出来る世界観。本当に驚嘆しました。

 文明社会は、これを未開のアニミズムとして軽蔑的に見下します。しかし、私は、こちらが正しい、と思っております。

 いい本をご紹介いただきありがとうございました。
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