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この世界を知るための 人類と科学の400万年史 (レナード・ムロディナウ)

2020-03-04 09:37:04 | 本と雑誌

 レナード・ムロディナウ氏の著作は、以前「たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する」という統計学や確率論を扱った本を読んだとことがあるので、本書で2冊目になります。こちらは「科学史」です。

 解説は、第一部「直立した思索者たち」、人類の誕生から始まりますが、私の興味を惹いたところをいくつか書き留めておきます。

 まずは、人類が「科学」を意識的に活用し始めた契機を指摘しているくだりです。 

(p47より引用) 農業や牧畜の発明をきっかけとして、その営みの効率を最大限に高めることに関係した新たな知的飛躍が起こった。人々が、自然の法則や規則性を学んで活用したいと思うようになったのだ。・・・それがのちの科学の芽生えになった 

 この法則への目覚めをより高めたのが、新石器時代の定住地の拡大だったと論は続きます。人々が力を合わせて知恵を出し合うようになったのです。  
 この自然の規則性か法則を学ぶ段階から、人びとは、法則に則って自然を理解するという段階に進んでいきます。 

(p95より引用) タレスは、自然は秩序だった法則に従うと語ったが、ピタゴラスはさらに歩を進め、自然は数学的法則に従うと断言した。そして、宇宙の根本的真理は数学的法則にほかならないと説いた。 

 しかし、次に登場する巨人アリストテレスはこういった定量的思考を否定しました。 

(p105より引用) アリストテレスは、・・・法則の定量的な細部よりも、なぜ物体がその法則に従うかという疑問のほうに関心があった・・・ここにアリストテレスの哲学と今日の科学の進め方との最大の違いがある。・・・ 目的を探すというこのアリストテレスの分析の特徴は、・・・今日の研究の道しるべとなっている強力な科学原理とは完全に相容れなかったため、2000年近くにわたって科学の進歩は妨げられた。 

 アリストテレス哲学は、長年にわたって物理学・化学・生物学等々幅広い分野を支配していました。
 その物理学の世界でのアリストテレスの種々の説を壊したのが、ガリレオニュートンであり、さらに、ニュートンの考え方を壊すのがアインシュタイン・・・と連なっていきます。同じように、化学の世界での破壊者はラヴォアジェであり、生物学の世界ではレーウェンフックでした。
 

(p382より引用)どんな時代に生きているにせよ、我々人間は、自分たちは知識の頂点に立っていると信じたがる。かつての人々の考え方は間違っていたが、自分たちの答は正しく、今後もそれが覆されることはないだろうと信じるのだ。科学者も、さらには偉大な科学者も、ふつうの人と同じくこの手の傲慢さを抱きやすい。 

 そして、著者は「エピローグ」で、とても興味深い「頭の体操の問題」を提示して、本書にて伝えたい科学の進歩の営みについて述べています。 

(p378より引用)古くからのある問題を一つ。ある日、一人の修道士が日の出とともに修道院を出発して、高い山の山頂に建つ寺院目指して登っていった。その山にはとても細くて曲がりくねった道が一本しかなく、急な場所では修道士はゆっくりと進んだが、日没の少し前に寺院へ到着した。翌朝、修道士は再び日の出とともに道を下り、やはり日没に修道院へ到着した。問題――その両方の目でまったく同じ時刻に修道士がいた地点は存在するか? 

 その答えは「Yes」です。 

(p379より引用)一人の修道士が登りと下りで同じ時刻に道の途中のある特定の地点を通過するというのは、ありえそうもない偶然のように思える。しかし自由な心を持って、二人の修道士が同じ日にそれぞれ登りと下りをたどるという空想を膨らませれば、それは偶然でなく必然であることがわかる。
 ある意味、この世界を少しだけ違うふうに見ることのできる人たちがそれぞれこのような空想を次々に膨らませたことによって、人類の知識は進歩してきた。 

 そして、さらに大切な指摘です。 

(p345から引用)バスケットボールの神様マイケル・ジョーダンは、あるとき次のように語った。「選手生活の中で九〇〇〇回以上シュートを外している。三〇〇試合近く負けている。決勝のショットを任されて外したことは二六回。人生で何度も何度も何度も失敗した。だから成功しているんだ」。この言葉はこの言葉はナイキのコマーシャルの中で語ったものだ。伝説の人物でさえ失敗しては食い下がったという話には、大いに勇気づけられる。発見や革新の分野に関わっている人も、ボーアの見当違いの考えやニュートンの錬金術への無益な努力の話を聞けば、学問の世界のアイドルでも自分と同じくらい膨大な間違ったアイデアや失敗を重ねたのだと知ることになる。 

 こういった数限りない科学者たちによる膨大な“知的格闘”によって、今の人類の知識の到達点があり、そして、まさに今もこうった“格闘”が繰り広げられているのです。 

 

 

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