本書の後半は、主として「統計」をテーマにして解説が進んでいきます。「正規分布」や「標準偏差」といったお馴染みのコンセプトが登場します。
まず、もっとも基本的なランダムネスの現出パターンとしての「正規分布」の効用についてです。
(p230より引用) ランダムネスのパターンは非常に信頼できるものであり、もし社会的データにおいてそれが破られていたら、それは悪行の証拠になり得る-これがケトレーにより偶然見いだされた有用な事実である。・・・たとえば近年、そのような統計分析が普及し、法経済学(あるいは犯罪経済学)と呼ばれる新しい学問分野が生れている。
正規分布は、ある意味とてもシンプルなパターンですから、直観的に理解しやすいものです。
理解しやすいと、人は、そこに「何らかの意味」があると考えがちになります。ここに気をつけるべき陥穽があります。「本当は意味がないにもかかわらず、そこに意味があると考えてしまう」という罠です。
(p279より引用) われわれが錯覚に捕らわれているとき・・・われわれはたいてい、その考えが間違いであることを証明する方法を探るのではなく、それが正しいことを証明しようとする。心理学者はこれを「確証バイアス」と呼ぶ。確証バイアスは、ランダムネスに対する誤解から逃れようとするわれわれの能力の大きな障碍になっている。
先入観は、どんどん強化されていきます。曖昧な証拠でも、それを自分の都合のいい方に引き込んでしまうのです。
(p281より引用) ランダムなパターンでも、もしそれがわれわれの先入観と関係していれば、説得力をもった証拠として解釈される可能性があるのだ。
こういう心理的なバイアスはなかなか厄介です。第一印象に引きづられて、後々まで判断をミスリードしてしまうことも現実的には少なからず生じているでしょう。
著者はこういう偏見を克服するために、以下のような方法を紹介しています。
(p282より引用) 出発点は、偶然の事象もパターンを生み出す、ということをまず理解することだ。また、自分の認識や理論を問い質すようになれば、それは一つの大きな前進だ。そして最後に、われわれは自分の考えが正しいとする理由を探すのに費やすのと同じ時間を、自分が間違っているという証拠を探すことに費やすようになるべきだ。
ただ、そもそも「バイアス」がかかってるのですから、出発点に立つことすら大変ですね。
さて、最終章で著者はこう語っています。
(p314より引用) われわれが世の中のランダムネスの作用に気づかないのは、この世を評価するとき、われわれは見えると期待しているものを見ようとするからだ。われわれは基本的に成功の程度で才能の程度を定め、その関係を強調することで、われわれが抱いている因果的な見解を強化している。
本書では、この成功が、(努力もひとつの要素であることは認めつつも)多くの場合「ランダムネス」の現出に過ぎないことを明らかにしているのです。
(p320より引用) 能力は偉業を約束してはいないし、偉業は能力に比例するわけでもない。だから重要なことはその方程式の中の別の言葉-偶然の役割-を忘れないようにすることだ。
この著者のメッセージをpessimisticに捉えるべきではありません。optimisticにpositiveに受け取りましょう。
「偶然」は、チャレンジする回数を増やせば、いつかは味方してくれるものです。
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