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日露戦争 (坂の上の雲(司馬遼太郎))

2010-07-10 19:50:24 | 本と雑誌

Nichiro_war_1  NHK大河ドラマの「竜馬がゆく」が大評判で、今またちょっとした司馬遼太郎氏のブームですね。私も以前から、司馬氏の作品はそこそこ読んでいたのですが明治期のものは「花神」ぐらいでした。

 ということで、今回は(今さらながらではありますが、)司馬氏の代表作のひとつでもある「坂の上の雲」を読んでみたというところです。
 私から、小説のストーリーのご紹介をしても意味がないので、通読してみて私の関心を惹いたくだりをいくつかご紹介します。

 まずは、司馬氏の「日露戦争」の意味づけです。

 
(一 p75より引用) 小さな。
 といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。・・・この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。
 その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫を後世の日本人は食いちらかしたことになるが、とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。いまからおもえば、ひやりとするほどの奇蹟といっていい。

 
 これに対して、「日清戦争」についての性格については、こう語っています。

 
(二 p150より引用) 要するに日清戦争は、老朽しきった秩序(清国)と、新生したばかりの秩序(日本)とのあいだにおこなわれた大規模な実験というような性格をもっていた。

 
 司馬氏は、日清・日露戦争あたりまでの日本はそれなりの論理性をもった振る舞いをしていたと考えているようです。政府・軍部等戦争指導者の思考様式・精神状況について、司馬氏は、日露戦争期と第二次大戦期とでは全く異なっているとの評価を下しているのです。

 
(三 p185より引用) 日露戦争当時の政戦略の最高指導者群は、30数年後のその群れとは種族までちがうかとおもわれるほどに、合理主義的計算思想から一歩も踏みはずしてはいない。これは当時の40歳以上の日本人の普遍的教養であった朱子学が多少の役割をはたしていたともいえるかもしれない。朱子学は合理主義の立場に立ち、極度に神秘性を排する思考法をもち、それが江戸中期から明治中期までの日本人知識人の骨髄にまでしみこんでいた。

 
 とすると、わずか30年ほどの間で、その基本的思考法が急転回した要因とは何だったのかが次の関心事となります。合理的根拠のない神秘哲学の浸透もまた、当時の日本人の何からの素地が与したものなのでしょうが・・・。
 
 

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