サンタの写真日記

田舎の広告写真屋、サンタの写真日記。

直島へ行ってきました。その3(直島宮浦港)

2006年11月18日 23時30分12秒 | 大地の芸術祭
11/18、午前9:02直島の宮浦港に着いた。(上写真:今回の視察メンバー7名)

フェリーの中にもあった〈NAOSHIMA STANDARD2〉の白いコーンが連立して我々を出迎えてくれた。
これは作品ではなく看板らしい。

案内所や、おみやげ店、待合室が同居するおしゃれなターミナルは、金沢21世紀美術館と同じ建築家の作品とのこと。島の玄関口から、ずいぶんチカラが入っている。

 
↑港のターミナル。設計はSANAA設計事務所。(左写真)
歓迎看板のコーン。よく見ると、何文字か欠けている。
奥には草間彌生のかぼちゃ。(右写真)

しばらくすると、ベネッセの江原さんニコニコ笑顔で登場。

港の建物のガラス張りの部屋で直島のお勉強。先生は江原さん。
島のあらましからベネッセと島のかかわりまで、丁寧に説明していただいた。


↑ベネッセ美術担当の江原さんより説明を受けるメンバー。
江原さんはしっとりと品のいいステキな女性。もうちょっとご一緒したかった…。

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直島(直島町)は人口約3,000人。多くの島民が三菱マテリアルで働く。
以前は6,000人ほど住んでいたが、約半分になった。
でも、他の島に比べると人口の減少は少ないほうらしい。
1,000人の島が30人になっている例もあるという。

ベネッセと島との関わりは、1985年に遡る。
ベネッセの前身である福武書店の創業者福武哲彦社長と当時の直島町長とが会談し「瀬戸内海に世界中の子どもたちが集える場をつくりたい」との思いが一致。
島の南側を「清潔で教育的な文化的エリア」として開発することを約束。
最初の開発は「直島国際キャンプ場」で、1989年にオープンした。

「清潔で教育的な観光地」というコンセプトがイイ。グッとくる。

その後、1992年に現代アートの展示とホテルを兼ねたベネッセハウスがオープンし、徐々に島内でのアート活動が根付いた。

2004年の「地中美術館」開館を機に、これらのアート活動の総称を「ベネッセアートサイト直島」として、現在は全世界から人々が訪れる現代アートの島へと至っている。

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説明がおわって、ターミナルで遅い朝食。


理事長がオーダーしたターミナルのうどん。昨夜のうどんより美味かった。
私は「黒鯛のづけ丼」780円を食べた。撮影もせずにすぐ食べてしまったので写真はナシ。
美味しかったがボリュームがちょっと…足りない。

朝飯を食ったり、お土産の讃岐うどんを買い占めたりしてたら、10時発のバスに乗り遅れ、結局港を出発したのは11時すぎになってしまった。


ターミナルのまわりはひなびた漁村といった感じ。

ちなみにレンタカーは無し。タクシーは島に1台だけ。バスが頼りです。

つづく…。

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