Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

vol.432: ロング・グッバイのあとで-ザ・タイガースでピーと呼ばれた男

2011年12月05日 | eラーニングに関係ないかもしれない1冊
ロング・グッバイのあとで ―ザ・タイガースでピーと呼ばれた男―
瞳みのる著
集英社


肝心なことを覚えられないかわりに、どうでもいいことを忘れられないとい
う妙な性癖を持つ自分(シバタ)ですが、忘れられないことの1つに昭和の
歌謡曲たちの発売年というのがあります。その昭和歌謡の中核が、グループ
サウンズ(GS)界の雄、ザ・タイガースです。

今回の1冊は、そのタイガースのドラム、瞳みのる、本名人見豊氏のエッセ
イ。彼は1971年1月の解散コンサートの日を最後に、一切芸能界との接触を
遮断してきました。その彼が、40年間の沈黙を破りこの秋より沢田研二のコ
ンサートにゲストとして、というよりドラム担当として復帰しています。

さて、本書は元アイドルの自叙伝であり、氏の40年の総括なのですが、それ
以上に私たちにとって貴重なキャリア教育のテキストとなる、と感じました。
これには少し伏線があります。

彼が引退後中国語学者となり名門・慶応高校で教鞭をとっていることを20年
ほど前に知って以来、私は彼に並々ならぬ興味を抱いてきました。タイガー
スは京都の不良が集まってできたバンドですが、定時制高校中退・GS出身
の彼の引退という「点」と、名門高校教員という「点」とがどうにもつなが
らないのです。10年ほど前、何かの機会に国際交流誌(小渓 2000.7)上で
中国語学者としての彼の寄稿を目にしたことがありました。一瞬、同姓同名
かとも思いましたが、「プロの音楽グループとして5年足らず活動した後」
というくだりに確信を得ました。もちろん記事の内容は浮つきのない学者と
してのそれでした。

さて、今年春上梓された本書を通読し、私の20年来の疑問であった点と点が
見事につながりました。記された彼の大まかな来歴はと言うと、

1946年京都生まれ
→2歳で母死去
→小2で家業倒産・赤貧
→不良グループ
→働きながら山城高校定時制・デビューメンバーとバンド活動
→4年夏で中退・大阪のクラブで下働きや前座
→1967年渡辺プロダクションからタイガースデビュー
→1971年1月引退・山城高校復学
→1972年4月慶大文学部
→同大学院
→1978年慶応高校教員(並行し博士学位取得)
です。

本書にはその内的遷移、いわばキャリアプロセスもあちこちに散りばめられ
ています。

元々音楽好きの仲間で始めたバンドが、プロダクションと社員契約としてデ
ビュー。大人気を博しながらも大人の世界の歯車・人形と化していくことに
疑問や不満が増し、解散2年前、とうとう加橋かつみが脱退します。それか
らの人見は「空気の抜けた風船のように」なり、引退し猛勉強して学問を身
につけようと決意。以降引退まで生活を切り詰め、1年間でその後の生活費
と学費1千万円を貯めます。そして解散・引退の1月24日を機に頭を丸め、1
日14時間の勉強を続け、翌春、現役で慶大文学部に合格します。

ではなぜ学問・なぜ中国語なのか。それにはいくつかの要因を記しています。
まず、子供時代、ちり紙も買えないような赤貧だったことが、身に着き離れ
ない学問という財への動機になりました。そして京都に生まれ育ったことに
より自然と仏教・仏閣に畏敬を持ったこと。父も祖父も戦争で中国へ赴いた
こと。高校時代、唯一好きだった科目が漢文だったこと。ベトナム反戦に代
表される社会とのかかわりをそれとなく考え続けたこと。周囲の知人の影響
で民青から創価学会まで、一時的にでもさまざまな「思想」に身を浴したこ
と。さらには、デビューしてほどなく紹介された文豪・柴田鎌三郎とそのご
家族との交流、それに派生し、薬師寺管長や水上勉、五木寛之ら、大人の文
化人との交わりを挙げています。引退してからではありません。サーカスの
ような服を着て、「♪チョッコレート、チョコレイトはメ・イ・ジ」と歌っ
ている真っ只中の時期のことです。

芸能界のど真ん中にいれば人見氏のみならず、さまざまな偉人との接点はい
くらでもあるでしょう。しかし、その出会いを糧として、このような「その
後」に結びつけていった彼は、同じように出会いがあったはずの幾多の「彼
ら」とは何が違ったのでしょうか。

もちろん、「中国語学者」に価値があって、多くの芸能人が歩む「スナック
来夢来人のマスター的その後」には価値がないという話ではありません。た
だ、彼のそれを「ああ、偶キャリ(偶然からのキャリア形成)ね」という一
言で片づけるのは、あまりにも乱暴で、あまりにももったいないと思いまし
た。

彼は事務所の人形として管理された中で呟きます。「規則は僕らの生活を便
利にするためにある。それが不便になれば変えればいい」。そして、その先
の設計を始めたのでした。
<文責 シバタ>

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1 コメント

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Unknown (hiromi)
2011-12-05 18:31:32
沢田さんの活躍を期待しています。
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