Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

vol.412:老いの才覚

2011年07月04日 | eラーニングに関係ないかもしれない1冊
老いの才覚 (ベスト新書)
曽野綾子著
ベストセラーズ


遠い未来だと思っていたアナログ放送の終了が秒読みになってきました。我
が家では、妻の「きっと寸前になって、『やっぱ今のままでも大丈夫でー
す』となるに違いない」という予言により何ら対策を打っていません。実際、
未だに寝室の主役はかつて糸井重里とジュリーがCMをやっていた「テレビ
デオ」です。

しかしおそらく、そんな私を罰するように各局はその初日から「西田ひかる
デビュー当時特集」とか「菱見ゆり子(アンヌ隊員ね)スペシャル」など垂
涎企画を放映するのでしょう。砂嵐のブラウン管を前にがっくしと膝をつき、
何の備えもしなかった愚かな自分を悔いる姿が浮かびます。

さて今回は、地デジよりははるか先なれど、必ずいつかはやってくる老いの
話。このメルマガにあっては少し畑違いなあのその曽野綾子のエッセイです。

著者の言う「老いの才覚」なるものを乱暴にまとめれば、「老人よ、我を捨
てよ、足るを知れ」とでもなりましょうか。その才覚さえ持てば、やがて衰
え孤独になり、そしてこの世からいなくなるという不可避の宿命を受容でき
る、という主張です。クリスチャンでもある著者は、「与えられるより与え
る方が幸せなのだ」と聖書の言葉を引きます。そして全ての事は「させられ
る」と思うよりも「してみる」と思うことの方が楽しく、実りも大きいと解
き、「子供に期待しない」「孤独と付き合う」「老いや病気・死と慣れ親し
む」と生活の中での具体的な指南が続きます。

この著者独特のチョー上から目線の内容は、彼女が80歳ながら健康で、生
まれ育ちが田園調布で、高名な作家で、夫が元文化庁長官で、何不自由なく
暮らしていることを考えるといささか腹立たしくなりましょう。amazonの書
評でもその主旨の批評が溢れます。

しかしその腹立ちをちょいと棚上げして、この主張を「人生、思い通りにな
らず努力に見合った感謝や報酬を得られないものという世の倣いを引き受け
る心持ちはどうしたら作れるのか」という視点に置き換えると、それはそれ
で示唆に富む内容です。

少し仕事に引き寄せて言えば、受講者に対して学習の動機付けをどう組み立
てていくか、にも応用がききそうです。動機づけやストレスを紐解く際に
「期待-価値」とか「努力-報酬」といったキーワードがありますが、そも
そも自分や受講者の中の「価値」や「報酬」をどう設定するかでだいぶ教育
の魅力が変わることになりましょう。

折しも先日、この春まで2年間の研修医をやってきた若きDr.とじっくり話
をする機会がありました。彼女はある時期、なぜだか手に余る患者さんの担
当や厄介な手術の助手を言いつけられることが続き、その不平を先輩に漏ら
したそうです。その時の先輩の言葉が「研修医が18人いるけど、成長のチャ
ンスは18等分で来るわけではない」というものだったそうです。この一言で
彼女はガラリと困難な仕事への気持ちが変わったと言います。

前月の書評で、製粉会社の売上が「外食産業で捨てられる食べ物の量」、つ
まり「過剰」に依存するというお話をご紹介しました。我が家のテレビデオ
がまだ綺麗に映るのに買い替えを迫られるように、この地デジ化もおびただ
しい過剰を生みだし、そしてさして望んでもいなかったはずの新しいテレビ
やサービスに我々はホクホクとするのでしょう。

物の入手と消費ばかりを、そしてもしかすると捨てるという行為すらをも
「価値」や「報酬」と感じているとすれば、それはちょいと考え直さねばな
りますまい。言うまでも無く喜びが物という他者を前提にすることになるか
らです。

遥か遠くだった地デジの日がいつの間にかやってきたり、社会に出た日から
より定年の日までの方が、そしていつの間にか生まれた日よりも平均寿命の
日の方が近いことに気づいたりする今日この頃。才覚を身につけるべく、他
者に依存しない内なる喜びを模索するには、電力消費30%offも、砂嵐の画
面とともに「テレビよさらば」も悪くないかもしれません。

もちろん、知識と教養はテレビ不要のeラーニングで。
(文責:シバタ)

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