夕方、ひめちゃんは小次郎パパと南の方にお散歩しました。
今にも泣き出しそうな空でしたけど、パパが珍しくどんどん進みます
お散歩コースの最南端の小学校付近を廻って帰りました。
ここらへんは、稲作地帯なので、水路が縦横に走ってます。
中には、ゴウゴウと音を立てた、速い流れもあります
ひめちゃんたちが落ちて流されたら、助かりそうもありません
慈覚大師像です
比叡山に登った15歳の時の慈覚大師ですね。
後ろの慈覚大師堂の左に、階段があります。
少し登ると、開山堂です。
「開山行基菩薩を祀っている」とあります。
この方が行基菩薩ですね。
こんにちは
手にお持ちなのは何ですか?
開山堂の前に、高い塔があります
相輪橖(そうりんとう)です。
弘仁年間の伝教大師様の銘文が刻まれています。
大師はここを天台教学のセンターとされました。
伝教大師最澄は、東国伝道に訪れたのですね
大慈寺二祖道忠の道忠教団(道忠一門)は、最澄の東国伝道への導き手であり、受け入れの母体であったということです
そして、ひめちゃんちの近くの山上多重塔(やまがみたじゅうのとう)を建立した、僧・道輪も、道忠教団に連なると言われています
僧・道輪は、延暦20年(801)7月17日、山上多重塔を建立します
あれ、今日は7月17日です
延暦20年(801)7月17日は旧暦なので、8月末から9月初だったでしょうけど。
まあ、7月17日ということで、奇遇です
僧・道輪が連なると言われる、道忠教団の道忠が二祖の大慈寺を、記事にしてるなんて
ついでに、今日の山上多重塔を確認してきました。
貴族だけの仏教ではなく、衆生教化の仏教が始まってます
さて、次は、真っ赤な端が旗めく元気な空間です。
女神様ですか
「南無小野寺大明神」、静かに手を合わせます。
雨がひどくて、足場も悪いので、ここより奥は断念です
階段を降りて、奥に行きます。
「小野小町日本七佛薬師」とあります。
小野小町も、ここで晩年を過ごしたそうです
小町については、後日もう一度、乞うご期待
隣に、境内案内図があります。
こちらも、ちょっと不鮮明ですけど、目をこらして確認です。
境内案内図の前です。
あれえ、ライシャワーさんだ
慈覚大師の研究者でもあったライシャワーさんは、大慈寺を訪れたのですね
そばには、何の木かわかりませんけど、記念植樹された木があります。
鐘楼堂です。
「開運の鐘」とあります。
元々は、天徳寺了伯(てんとくじりょうはく)の奉納で、これは再鋳されたものとあります。
そういえば、佐野を通って来ました。
天徳寺了伯は、佐野氏の一族ですね。
向こうに神社が見えます。
せっかち人間のおじさんは、もう神社の階段を登ろうとしています
誰かの置き忘れの杖があります
(つづく)
お近くに在るのですよねぇ。
今回は小野小町、ライシャワーさんまで登場ですか。
みな由緒ある様で探れば探る程、奥の深さが感じられます。
でも、余り深く考えずに、気になったら、行ける所は行きます。