黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

元禄15年大間々市に山上市を合併す(コノドント館)

2019-03-25 19:41:47 | 群馬県・旧勢多郡
タバサねーちゃんは、ひめちゃんとパパもママも同じです。
なのに、白柴です。
色があったら、日本犬保存会のコンクールにも出られそうな、かっこいい白柴です



タバサねーちゃんは、車でお出かけが大好きです
脱走しても車のドアを開けておくと、ちゃんと乗ります。



その時は少しだけドライブして、お部屋に帰ってもらいます。

人間の家族が帰ってきたときの、ウエルカムダンスも得意です



ぬいぐるみをくわえて、目を細めてウエルカムダンスです。
このぬいぐるみは、とても長生きしています
何年か前に全員に同じものを買ってあげたのですけど、生存しているのはタバちゃんのだけです。
ひめちゃんは特に解体新書が得意で、ぬいぐるみもすぐに解体新書してしまいます。




昨日、みどり市大間々のコノドント館(大間々博物館)に出かけました。



企画展「足尾線からわ鐵へ」をみるためです。
駐車場は裏ですけど、入り口・受付はこちらです。

ここは昔群馬銀行・大間々支店でした。
ひめちゃんちのある新里村にまだ銀行というものがなかった頃には、こちらを利用していました。

この建物には、さらに昔の物語があります。
入り口の説明板によると、
大間々博物館の本館は、大正時代に建てられた旧大間々銀行の本店営業所で、現存する銀行建築としては県下で三番目に古いものです。


確かに大正ロマンの様式美です


入り口のマスコットキャラクター「コノコちゃんとドントくん」に、初めて気がつきました。



企画展は懐かしいものがいっぱいで、それなりに楽しめました


さて、常設展です。
何度か来ていますけど、毎回それなりの発見があります。

大間々絹市発展のパネルを眺めていて、気になる記述がありました。

「元禄15年 大間々市(おおままいち)に山上市(やまかみいち)を合併する」



ええ、絹市が山上にもあった
ひめちゃんちは旧勢多郡新里村大字山上字堀之内です。

元禄15年(1702)までですけど、山上に絹市が立っていたのです

これといった産業のない寒村だったとばかり思っていました。
絹市が立つほど、人々が集まる賑わいの村だった時代があったのです

絹市はどこに立っていたんだろう?

山上城跡にある伝習館・藤井先生の「山上氏と山上城」に新里村大字・小字一覧があります。





山上は他に比べて、小字がとても多いです
絹市(きぬいち)と関係ありそうな地名はないようです。

あえていうならば、町西・町東。
特大の道祖神や庚申塔が道ばたにあります。
庚申塚古墳に数十mです。
市が立つには場所が必要ですけど、付近には無量寺という天台宗のお寺がありました。

でも、道祖神があるのは、通過地点かな?

通過してその先には諏訪神社です。



左奥が諏訪神社です。
境内は広く、山上・下鶴谷公民館もあります。
現在の社殿はたいして大きくはありません。
けれども、大きな古い舞台が残っています。
東の道はおそらく古い時代には赤城山の参道に通じていたと思われます。
ほぼ北に板橋の百足鳥居(むかでとりい)があります。

可能性が一番高いように思われます










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