黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

大事の時節到来・その3(桐生閑心院新田へ御目見え桐生謀反を調べ新田書状の事・その4)

2024-09-07 14:44:18 | 桐生老談記の世界

元記事(2019.08.13)では、フラリア予防薬やノミダニ予防薬の噺が書かれています。

今は、おやつタイプということで、お菓子のようなものです。

ドッグフードの上にのせてやれば、みんな食べてくれます

ところが、5年前16歳だった七海ママは、とても用心深く、お薬の類を食べさせるのが大変でした

 

そのころのみんなです

ひめちゃんの頑固は、ママ譲りかな

 

 

 

 

桐生閑心院新田へ御目見え桐生謀反を調べ新田書状の事・その4(大事の時節到来・その3)


内田庄之介、飯塚播磨、稲垣主膳、永井弥市郎、高木龍左衛門などは高知行なれども、津布久、山越が与力同然の者なれば、云うに足らず。

松嶋、阿久沢、真下は善悪に構わず。

外山、垣上(かきあげ)を始めて己より小身のものは述べるに足らず。

早速思し召し立ち然るべく存じ候。

時に天正元年三月四日、藤生紀伊守殿、岩間、中嶋、野口三判という事送られけるなり。

 



あらすじです。

内田庄之介、飯塚播磨、稲垣主膳、永井弥市郎、高木龍左衛門などは、高い禄高の者ですけど、津布久、山越の与力同然のものであるので、内通を勧める相手ではありません
松嶋、阿久沢、真下は、善悪関係ありません
(黒川衆は)自分たちの考えで行動します。
外山、垣上を初めとした自分たちより禄高の少ない者はいうほどのことはありません(状況を見てこちらに付くでしょう
早速桐生家を亡ぼす戦を起こすべきだ思います


天正元年三月四日、藤生紀伊守殿、岩間、中嶋、野口」

と、送ってきたのです。

 

 



旧暦三月四日、今だと4月中旬頃です。
農繁期には少し早く、戦いを終わらせてから、本格的に農作業で良さそうです

内田庄之介、飯塚播磨、稲垣主膳、永井弥市郎、高木龍左衛門、実在を確かめようもありません
当然、山越・津布久と一緒に戦った事でしょう。


松嶋、阿久沢といった黒川衆は、一応桐生氏に従っているけど、独立志向の強い人達です。
自分たちが有利になる選択をするでしょう。
黒川衆に真下さんとは知りませんでした

内通して役立つ人は、みんな引き入れ終わったようです



ところで、桐生家といってきましたけど、柄杓山(ひしゃくやま)城主は桐生氏ではありません。
いつのころからそうなったのかわかりませんけど、本当は佐野氏です


桐生市梅田町の西方寺には、桐生家累代の墓があります。

桐生川紀行総集編・やっとたどり着いた桐生氏累代の墓(梅田山西方寺)





けれども、県の重要文化財木造阿弥陀如来像に「大旦那佐野大炊之介助綱」とあるので、佐野氏である事が知れました。



桐生には桐生氏がいるはずという桐生ロマンで、この墨書の「佐野大炊之介助綱」がまじめに捉えられるようになったのは、最近のことのようです

 

 

 

初稿  2019.08.13  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2024.08.07  

 

 

(桐生閑心院新田へ御目見え桐生謀反を調べ新田書状の事・終)

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