日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

助成金10億円を配るのに、コストが5億円!

2009-11-13 07:22:56 | 私の雑感あれこれ
連日行政刷新会議のメンバーによる公開仕分け作業がテレビニュースに流れている。
「公開であること」はすごい力を持つ。
私たちは、討議の雰囲気を、口調を見聞きすることができるのです。
ああ、文明の利器の有効利用、そのものです。
だって、折角の民主主義であり、税金は国民の財産なのですから。

その財団は10億円の予算の執行をしていると、実は数ヶ月前話題にしていた。
どんなしごと?多分助成金を出しているのであって、団体そのものでは実働はしていないのではないか?
ということも、私たち夫婦の話の中に出ていた。

で、昨日の夕刊のトップでずばり、ニュースに!
映像の中の仕分人
「10億円の助成金を配るのに5億円(の費用)かかっているのですか?」
答える当事者、資料を確認しながら
「いえ、…5億円弱です」
仕分人
「10億円配るのに、5億円弱かかるのですね」
と。
やり取りが目に飛び込んでくる。
先日ウン十年ぶりに会食した夫の旧友の組織のハズです。
(会食の誘いのメールでは、食事代は折半にとの断り書きが書かれていて、当日も先に彼が折半額を支払った、と)

組織の中にいる人にとっては、先輩の後に自分にあてがわれたポスト。
そのポストで、先輩がしてきたことに劣ることなく、日々を送っている、真面目に。
そうしている自分が責められることは、理不尽に思えるのだろうか。
それとも、自分の俸給が、仕事内容に余りあるということに、実は気づいているのだろうか。

組織があって、誰かが座るポスト。
あてがわれたポストに、異を唱えるということは、去ること。
どんな判断をなさるのだろう。

昔。
今はこの俸給をもらえるけれど、将来、ボクが年をとったとき、さらに多くの俸給を支給されるようになったら、ボクはそれを受取ることはできない。
この種類の仕事は、仕事量においても、その責任と負担感についても、若手も年配も俸給の差に匹敵するほどの差はない。
しかし、年配者に支給される俸給額は、ボクにはどう見ても、多すぎるから、将来その立場になったら、ボクはそれをもらうことはボクの主義に合わず、ボクはもらえない。
その職業をやめる理由のひとつとして、そんなことを挙げた夫でした。
そんな理由を挙げる人、いますか?
やめてから25年程。

彼の大学の公務員になった仲間は、世に言う天下りメンバーです。
世の中すっかり変わって、天下りバッシング。
自分の仕事に見合った収入だったら、堂々と胸を張って受取れる。
仕事に見合うのではなく、そのポストだからといって、あてがわれる立場にはなりたくない、
夫の論理に、今、光が当たってきた、そのように思えます。

世の中に、彼の同類いるでしょうか。
いたら、私、興味深い。

友人達と、茶飲み話をしていると、何故か、しばしば「ウチの夫も同じ…」なんて、言う人が多いのです。
話題をさえぎることになるので、敢えて否定もしませんが、なんで軽々とそんな表現がでてくるのか、不思議です(笑)。世の中こんなものですが、私よくあります。ウチも同じって、言い方されるの。

私には、天下りがこんなに多い世の中なのに、そんなに、収入の多くなるのを拒絶する夫達がいるとは思えません(こんな考え方の夫の話題したことないから、判らないのももっともなんだけど)。

私だけが知っている。
夫の感覚ってレアケースだと思うのだけれどなー。

仕分け作業は、まだ始まって2日目。
今後どんな展開になるか。
無血革命なんだなー、
こんな風な流れになることもあり、なんだ!
そういう思いでニュースを見守っています。






コメント (4)
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