コミュニティカフェ Y'sさくらcafe

不登校、引きこもりやニートを経験している人や障害を持つ人(をではなく)が支援する特別支援コミュニティカフェ

冊子3ー吃音

2010年07月08日 | kato
◎言葉がなかなか出てこない

 僕は、吃音(きつおん)を持っています。吃音とは、簡単に言うと、どもったり、言葉がつかえたりすることです。吃音の嫌なところは、どもって口が金魚みたいにぱくぱくしたり、あごがガクガク震えたりすることです。その姿はとてもみっともなく、死ぬほど恥ずかしいものです。僕は小さい頃から吃音がありましたが、当時は遊ぶことに夢中で、気にしないでいました。しかし、小学5年生の時に、その姿を笑われて、不登校になりました。その後、おしゃべりだった僕は口数が減りました。毎日が嫌で消えてなくなりたいとさえ思っていました。不登校は中学卒業まで続き、その間に吃音を治すために、ことばの教室やアナウンサー教習所、県外にも行きましたが、治りませんでした。
 中3の冬に、フリースクールに入りましたが、何の目標もなくて退屈でした。しかし、高1の秋にバンドに入ってから、いっきに友達が増えました。しかし、友達が多くなると話す機会が多くなります。もともとおしゃべりなので話すことは楽しいと感じますが、同時に「あの姿」を隠すために神経を使い、疲れます。たとえば、言いにくい言葉があると、それに近い意味の言葉を瞬時に頭で考えて、言い換えます。また、言いにくい言葉の前に、「あの~」などと加えて話します。さらに、どもることが怖くて言いたいことが言えないこともあります。友達がすらすら話しているのが羨ましくて、話せない自分が嫌になり落ち込むこともあります。
 でも、僕は、毎日明るく生きています。友達とたわいのない会話をしたり、笑ったりすることが僕を救ってくれるのです。会話をするときは確かに疲れますが、人と触れあうことの喜びの方がはるかにまさっています。僕の周りの人たちは、いろんな傷を持っています。同じような痛みや苦しみをもっています。だから優しいし、温かいし、心から仲間だと思えます。仲間がいることは心強いですね。
 吃音はたぶん治らないでしょう。だから、どもるのが自分なんだと認めて、どもるのを恥ずかしがらずに話すことができたら、隠すことに力を使わなくなり、もっと、楽に生きられると思います。僕はそれを目指しています。が、簡単なことではありません。でも、たくさんの仲間がいて、毎日が楽しいので、認められなくてもいいやとも思います。
 吃音を持っているから、これからの人生はひどいものになると思っていました。でも、その考えは視野が狭いと思うようになりました。世の中には楽しい居場所や人がたくさんいます。吃音があったから、今の仲間に会えました。出会わせてくれた吃音に感謝しています。(フリースクール生徒 18歳)

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ皆さんのクリックがカフェの力になりますクリックよろしくお願いします