コア美唄ショッピング内の市民ギャラリーで3月3日の「耳の日」
にちなんで 聴覚障害の「手話」パネル展が開かれている。(写真)
40年前 ろうあ者夫婦が農業を継ぐ‥手助けのために「手話」を2年ほど
習った。当時は初歩的な会話の手話が出来て 少しばかりだが 農業経営・
農業技術などについて力になった‥と信じているが 職場の配置が変わり
それ以来「手話」を使うことが無くなって 今では挨拶程度しか手話を
使うことができない‥ほとんど忘れてしまったのだ。 聞くところによると
そのろうあ者夫婦も農業経営が悪化して離農した‥と云う。障害者たちの
生活の厳しさを強く感じている。健常者も障害者も共に豊かに暮らせる
社会になって欲しいものだ‥と願っている。
にちなんで 聴覚障害の「手話」パネル展が開かれている。(写真)
40年前 ろうあ者夫婦が農業を継ぐ‥手助けのために「手話」を2年ほど
習った。当時は初歩的な会話の手話が出来て 少しばかりだが 農業経営・
農業技術などについて力になった‥と信じているが 職場の配置が変わり
それ以来「手話」を使うことが無くなって 今では挨拶程度しか手話を
使うことができない‥ほとんど忘れてしまったのだ。 聞くところによると
そのろうあ者夫婦も農業経営が悪化して離農した‥と云う。障害者たちの
生活の厳しさを強く感じている。健常者も障害者も共に豊かに暮らせる
社会になって欲しいものだ‥と願っている。