Goo・ちょき・パーで、なに作ろう!

定年退職してしまいましたが、再任用でまだまだ老後の蓄えをしなくてはなりません。それでも悔いのない人生にしたいと思います。

蔵の事考えると~クラクラ!

2010年03月28日 10時00分13秒 | Weblog

蔵と聞けば、なんだか歴史的建造物の趣に聞こえる。
実家には、蔵があるが、実は困った事態となっている~
ちょっと、僕(跡取りとして)の悩みをご紹介させていただきます。

蔵は母屋と15cmと近接して建っている。南北向きに5.4m×10.8mの17.6坪×2階で、35坪の床面積がある。

 

東側に、引き戸の扉があり、重厚な板戸で表には鉄板の扉の2重構造で、いずれも重たい!(右下の空き窓は、ネズミ取りのネコ用空き窓(笑))鍵は昔の時代劇にも出てくるような古いもので、板バネ式で柱の中に突っ込んで、別のカギ棒をさらに突っ込んで中で開くというものだったが、子どもの頃にオヤジが土佐錠に付け替えた。
子どもの頃、悪戯が過ぎると、牛小屋の柵に縛り付けられてザラザラの舌で舐められるか、真っ暗になるこの蔵に閉じ込められるかのどっちかで、いずれも泣いていたものだ。

  

  

さて中に入ると、目の前の大きな梁を、つっかい柱で支えている。シロアリで梁が潰れるほど食い荒らされている。これを交換して修復すべきか悩んでいる~現在放置状態でいるが、いつまでもこのままじゃいけないと思っている。
原因は、30年ほど昔まで蚕を飼っていて、この蔵が貯桑場になっていて、萎れ防止に散水していたからだ。

 

梁を支えている柱には、『職域奉公』って書いてある~いかにも戦前を経てきた建物だ。 一階は土間で、いろいろ置いてある。
古い箪笥は、骨董品みたいな金具や小さな回転式錠前付きの扉がある。死んだ祖母ちゃんのもので明治時代の箪笥だ。

 

 

モノは捨てなければいつまでも在るもので、『キンダ―ブック(昭和36年)』がまだあった。子どもの頃読んでいた記憶がある。

 

  

コメの貯蔵庫・精米機・唐箕等々~新旧モノが詰め込まれている物置状態。

蔵の1階部分の悩みは、シロアリにやられた梁の交換・復旧をどうするかだ

階段を上って2階へ(当たり前だが)~しかしこの階段には仕掛けがある。
それは、
1階と2階を仕切る扉がある事だ最上段の下に戸が収納されていて、引き出すと綺麗に仕切ってしまう。子どもの頃は”忍者屋敷”に見立ててよくこれで遊んでいた。

   



階の南側には、子どもの頃”牢獄”と言っていた、明りとりと換気の吊り戸がある。照明が無いためこれを閉じると真っ暗になる。



桁部分の棟木板には上棟式の年月日が書いてあった。『昭和11年3月19日』~昭和11年といえば、築67年か~江戸川乱歩の怪人21面相が少年倶楽部で1月に初登場や、二二六事件の年に建設途中だった事になる。『家運永久』って、御近所の蔵がほとんど維持費がかかるため取り壊されている中で、まだ残っているということは、ある意味そうかもしれない

 

2階には古い日用品の歴史が詰まっている。餅箱・養蚕用具・食器類・布団収納箱~

 

   

  

  

  

  

  

北側にも明りとりの窓が1つつけてある。
『なんでも鑑定団』に出せるようなものは無いとは思うが、骨董品みたいなものがゴロゴロしている。
第二の悩みは、これらをどうすればよいかだ。捨てて良いものか

次は、外回りの悩み~外壁は厚い土壁を下地に漆喰の白壁だが、長年の風雨で脆くなっている。オヤジが何度か自分で修復してきたが、もう僕の代が管理責任となっている。



西側壁は、石英砂と雲母の混じった砂壁仕上げ。一部にはヒビが入ってきた下の道とは段差が3m近くあり、建築基準もない時代に北側の角は敷地ギリギリに建っている。

  
北側の10センチほどのヒサシは崩れかかっているし、吊り戸の老朽化も深刻~極めつけは、北東角の屋根の下の土壁が崩落してきた。原因は雨樋の不良による水の浸入で柔らかくなり崩れ出したと思われるが、平成3年の台風19号の時には、200枚の瓦が無くなって雨樋も、吊り戸も飛ばされた
外回りは、しっかりしないと腐れやシロアリにつながる~住屋でもない物置の蔵に、何百万円もかけなければならないのか
周りの家の蔵が取り壊されるのを見て、もったいなく思うが、維持費を考えて取り壊しを決断した気持ちは良く分かる

  

宝くじでも当たらないかな~と思っている

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妻との歴史~26年使用した電子レンジ復活!

2010年03月27日 13時58分01秒 | Weblog

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1421002645&owner_id=14979112  (mixiやっている人用)
 
単身赴任とともに、こっち来て早くも動かなくなり、応急処置した電子レンジが、また動かなくなった(泣)

適正なヒューズを使わず、半田づけ用の、巻きハンダをヒューズボックスに巻いていたのが原因か? 15アンペアのヒューズを買って取り付けたが、”動かない”きっと電子回路の基板がダメになったと諦めた(泣) 『さ~て、モノ要りだけど、買いなおしか?(泣)』でも、新しい電子レンジ購入の前に、もう一度あの、一度は捨てるつもりで縁側に野ざら状態の電子レンジを修理してみようと帰省の時に積み込み、こっちで修理に取り掛かった。



http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1392367955&owner_id=14979112
  (mixiやっている人用)
 
外カバーのネジを外して見ると、やはり埃だらけ~さっそく掃除機と筆で先ずは掃除!電子部品を傷つけないように筆で撫でながら26年間の埃を吸い取って行く。

 

特に、高電圧発生装置のコンデンサーの電極には注意!下手すると死んでしまう。
電子レンジの命と言うべき、マイクロ波発生装置のマグネトロンも綺麗に掃除した。ちなみに水は1GHz程度以上のマイクロ波ならどんな周波数のものでも吸収して、振動熱で熱を発生しそれを調理に使ったのが電子レンジの仕組み。 一般的に電子レンジには2.45GHzが使われているが、もっと高い周波数はさらに効率が良いが、電波法上の制約でそう決まっているらしい。
~雑学でした(笑)


 

 コードもくすんでおり雑巾で拭き取り、錆や油の塊の個所はブラシ等でこそぎ落した。さて、妻がこの愛着のある電子レンジを諦めたのには『グリル・オーブン・照明がつかない』というのを聞いていたので、赤外線電熱の電極ボックスは入念に点検と掃除をした。

   

 若干の緩みと汚れはあったが、断線は見受けられなかった。照明は、電球をテスターで導通テストしてみるとやはり動かないから、フィラメントの断線と判断~新しい25Wの電球を買ってきて、取り付けた。赤々と照明はついた。

 
 

 照明カバーのガラス窓もこの通り油まみれで汚れているので、綺麗に磨いた。これで、レンジ室内も明るく照らされる。  これで、やれることはやった。 電子レンジはターンテーブルは動くが、高周波が出ているかは未確認だったので、テストに冷やご飯を温めてみた。2分後、ホカホカのご飯が出来て、成功が確認できた。


 
 
次は
、上のオーブン?グリル?(グリルとオーブンの区別がよく分からない)が動くか?
テストには、半乾燥状態のシイタケを天板に広げた。 明るい照明で良く分からないが、確かに赤外線電熱は段々赤くなってきた。

 

 オーブンスイッチの
切り際が良く分からなく、乾燥シイタケのつもりが焦げシイタケまでになってしまった(泣これで、日常の使用には問題無く使えるようになった。
 元のネジは、このようにボックスに保管している。底に磁石が入っており、部位ごとに分けておけば、型式の違うモノを間違う事が少なくなる。


 

 もうひとつ、最近はほとんど電気ドリルで緩めたりするが、絞める時には強すぎるとネジ山を壊したり、ナット側をバカネジにし易い。
 
そこで、基本的に緩めた時のダイヤルの番号を覚えている。さっきのボックスに紙を敷いて、部位名やドリルのトルクダイヤル番号をメモしていれば完璧に戻る。

 実はこの後、新しい方の電子レンジも修理した。いつも5分程度しかダイヤルを回していなかったが、ちょんな事で15分とかの位置まで捻じってみたら、ナントと動いた。

 
ダイヤル付け根のネジが緩んで、5分くらいでは『アソビ』の範囲を超えなかっただけだった。

 空回りの遊びを無くして、こちらも使えるようになった。



 そんな訳で、一人暮らしの中年オヤジの台所には、2台(代)の電子レンジが並ぶこととなった。でも、古い方の電子レンジは異動しても持ち帰れないので、あと1~2年のお付き合いの宿命となる。まあ、それでもいいか!

 
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妻とのデート?パート2:熊本城

2010年03月03日 22時32分30秒 | Weblog

 パート2を書くまで、非常に間が空いてしまった

 さて、『人体の不思議展』を出て、『ここまで来たから、熊本城に登ってみようか?』

『うん、私、中学生以来かも~?』

『本丸御殿も出来たし、金屏風の昭君之間ば、見てみよう!』
ってな調子で、意気投合

 時計を見たら、4時近くなっていて、雨が降り出したので、速足で二の丸公園を横断~南大手門~頬当御門で入場料金を払うと、僕は宇土櫓をみようと左折したが、妻は直進。

 僕は凹型の首掛石に寄って、説明を読んでいる。

 妻は『なんしよっと?早くこっち来んね!』ってな、振り向きをしながら、まっすぐ本丸御殿を目指している~

ここでもさっそくB型同士の個性的な別行動の開始だ

 僕はその先の宇土櫓を諦めて、妻の後を追う~新しく建設・復元された本丸御殿は右手にみえるが、先ずはお城を目指す。『お城に上る』というのは、大天守閣に登る意味。



 妻との距離は縮まらない

 大天守閣階段をぐるぐる回りながら、途中の『一石城主の寄付金のお札のコーナー』『熊本城の歴史コーナー』とか見ながら、最上階の天守閣にたどり着いた。

 
久しぶりに眺める、ここからの市内のビューも昔と変わらないが、眼下の復元された櫓も増えて、綺麗になっていた。
 降りる時になって、やっと合流した

 次はやっと本命の、本丸御殿に向かった~
 
先ず出迎えるのは、『闇り(くらがり)通路』。ここは復元されて初めて通った。本丸御殿大広間の地下に当たる。4メートルくらいの石垣の上に架けられたチョウナで削った荒削りの大きな梁(赤松)~それを支える大きなケヤキの柱!~暗がりの大好きな僕にとって、タイムスリップの起きる冒険の空間だった。

しげしげとその観賞をしていたら~、また妻と離れた

 いよいよ、本丸御殿に入った。
先ずは、大御台所~天井の梁は、樹齢100年くらいの松の木・球磨人吉地方から運んだという。かまどは、大きな釜が6つ位並ぶ大きなもの。ここでは、来客用の食事を作ったとのこと。

 お城の”料理番”がやはり居て、大勢の使用人を使っていたのだろう。
 次は、大広間に入った。ここで妻に追いついた。4つの広間が繋がり161畳もあり、藩主の居間として使われたり、部下と対面する場所だったという。我が家がすっぽりと入ってしまう広さ。



 そして、本丸御殿の中で一番の見どころは、「昭君の間(しょうくんのま)」豪華絢爛とはこの様なところだろう。天井から襖からキンピカの部屋。

天井画は全部で60枚あるという。黒い漆塗りの天井と金箔のキャンバスのコントラストが綺麗。


 撮影は、フラッシュをたかなければOKということで、携帯電話のカメラでカシャカシャ撮った。
そして障壁画に描かれているのは、中国の漢の時代の胡の国へ送られたという絶世の美女~”王昭君の物語”だという。


ともかく天井から床まで、煌びやかな大お座敷という感じだった。
 時間は5時を過ぎて、もう閉門の準備~

久しぶりに妻と一緒の時間を過ごした休日だった


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