ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

『国分一太郎童謡集』より -乳のませー

2020-10-10 19:39:07 | Weblog
     『国分一太郎童謡集』(北の風出版)より

 昔、村の子は、乳をのませるために、よしやらをくぐり田んぼへ走った。

11 乳のませ ←ちちのみに

 おっ母のところさ
 ちちのませ

 よしやら くぐるぞ
 おととよ よいか。
 ほったぶ せなかに
 くっつけろ。

 よしめが おれの
 ふたぶ(ほつたぶ)を きった。
 おまえばきらねで
 しあわせだ。

 ほおら たんぼだ
 おっ母が見える
 おっつきい声で
 おっ母を呼ばれ。
         『国分一太郎文集(10)』
         「綴方読本尋四」昭8・1

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『国分一太郎童謡集』より ー箱の中ー

2020-10-09 10:57:56 | Weblog
『国分一太郎童謡集』(北の風出版)より

昔、赤子は、箱の中からはたらく母親の姿を見て育った。

115 箱の中の子ども

 おっ母は いちにち 穴の中
 一日 ざり堀り しています。
 子どもは いちにち 箱の中
 おっ母の ざり掘り 見ています。

 はたらき はたらき 乳のませ
 おっ母の かわいい 子どもです。
 お乳を のみのみ 泣きもせず
 はたらく おっ母を 見ています。

 ――はたらく おっ母の 乳のんで
 ――はたらく おっ母の そばにいて 
 ――はたらく 子どもに なるだろな
 ――つよい 子どもに なるだろな。
          国分一太郎児童文学集6『塩ざけのうた』


244 石油バコ*

 お母サンノ
 セナカノ
 石油バコ

 ソレニ
 コドモハ 
 ネテヰタヨ

 タンボデ一日
 クラスンダ

 アノコハ
 イチニチ
 ハコノ中

 どの子もつよいこになってほしい、そんな思いをこめて国分一太郎は、こうした童謡も書いていた。

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『国分一太郎童謡集』(北の風出版)より

2020-10-05 17:36:51 | Weblog
『国分一太郎童謡集より』 -体験ー

 昔、村の子どもたちにとって「遠足」は、つらい体験だった?

 雨の遠足で、こんな思いをした子どもがいたのかもしれない。

59 雨のえんそく

 雨のえんそく しょぼぬれて
 帰るたんぼの 日ぐれどき
 赤土 ねば土 すべる道
 ひろい たんぼも しずかだな。

 雨のえんそく ほんこ雨
 隣りの学校で 傘借りて
 ふたりで一本 傘さして
 帰るぼくらの 長い列。

 あさって書かせる つづりかた
 ぼくは 書かない 書きたくない
 雨のえんそく 帰り道
 ぼくらの村は まだ見えぬ。
          国分一太郎児童文学集6『塩ざけのうた』

 229頁には、楽譜も載っています。毎年東根で開かれる研究会では、合唱団の方が歌ってくれている曲の一つです。
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『国分一太郎童謡集』 -感覚ー

2020-10-05 17:00:54 | Weblog
『国分一太郎童謡集より』 

 昔、子どもたちは「感覚」をきたえられた。

「タナゴ」の童謡をとりあげたら、さっそく子どものとき、おたまじゃくしとたわむれて‥。という経験談をフェイスブックでいただいた。そこで、蛙の卵を題材にした童謡を2つ。
 子どもたちは、生活のなかで「感覚」を鍛えられていった。


220 蛙の卵*

 田すきをしてゐて しらずに ふんだ
 蛙の 卵を しらずに ふんだ

 あしは とつても
 ぬくかつた ぬくかつた

 ぬるりと ぬめるな
 蛙の卵

 あしも そこから
 こそばゆい こそばゆい

 田すきが すんでも
 足うらが
 力が ないよな 
 気がするよ

 野道を いつても
 こそばゆい こそばゆい 
           「『教育』と『文学』の研究」8号

231 蛙の卵*
 
 せりつみ かへり
 蛙の卵 ふんだ
 ぬるりと ぬつくい
 卵をふんだ
 ざしきに 上つても
 あしうらに
 今でも ぬるりと
 ふんでやうだ
 小川の 野芹ものびていて
 蛙の卵は ぬくかつた

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『国分一太郎童謡集』より -野性ー

2020-10-05 11:00:11 | Weblog
『国分一太郎童謡集』(北の風出版)より

 昔、村の子は、みんなで野山をかけまわっていた。

209 タナゴ

 タナゴガトレタデ
 モッテイコ
 ピチピチイカシテ
 モッテイコ

 オマエノゴムグツ
 モラナイカ
 モラナキャ
 タナゴヲ
 イレテイコ

 タナゴハ
 ヨワイデ
 キヲツケナ
 タノクロ
 スベルデ
 キヲツケナ
       『国分一太郎文集(10)』
       「綴方読本尋二」昭9・5
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『国分一太郎童謡集』 -ささえあいー

2020-10-04 12:18:52 | Weblog
『国分一太郎童謡集』より

 昔、子どもたちは「共同体」のなかで暮らしていた。

1 お雷様(かだっつあま) ←雷っ様だぞ

 お雷つぁまだよ
 アヒルを 入れろ

 茂平さの アヒルが
 おととし 死んだ

 おら家(え)じゃ ころして
 いられない

 お雷つぁまだよ
 アヒルば 呼ばれ
        国分一太郎児童文学集6『塩ざけのうた』

193 隣りぶれ

 嵐が来るぞの 隣りぶれ
 隣りへ さっさと ふれてやれ

 嵐が来るから 竹ざおに
 利鎌をゆわえて 門に出せ。(とがま)

 嵐のきらいな 鎌たてろ
 とっとと 隣りへ ふれてやれ

 嵐が来るとの 隣りぶれ
 桑畑くぐって ふれてこい。
         国分一太郎児童文学集6『塩ざけのうた』

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『国分一太郎童謡集』より ー年貢ー

2020-10-04 11:42:51 | Weblog
『国分一太郎童謡集』(北の風出版)より

 昔、村の子の生活は貧しかった。

89 霜夜のヤギ

 霜夜の夜でありました。
 ヤギが空見てなきました。
 ひとりでしずかになきました。

 霜の夜でありました。
 ヤギはさびしくなきました。
 首をのばしてなきました。

 霜の夜でありました。
 だれも知らない晩でした。
 ヤギだけ知ってなきました。

 霜の夜でありました。
 年貢をおさめてきたのでした。
 ひとはぐっすりねていました。
         国分一太郎児童文学集6『塩ざけのうた』

100 年貢おさめ

 父さがひっぱり
 わたしがおして
 年貢はかりに
 そりで行く。

 冬の明るい
 砂田道
 年貢の俵も
 光ります。

 「お早う ござんす
  だんなさま
  ことしの年貢で
  ございます
  おかげで ことしも
  できました」
 父さが お礼を いうのです。

 年貢はかれば
 からのそり
 父さがひっぱり
 わたしがのって

 「おしい米だが
  しかたがない
  地主の だんなにゃ
  かなわない」
 父さは こっそり いうのです。

 日ぐれも近い
 砂田道
 わたしがのってる
 からのそり。
         国分一太郎児童文学集6『塩ざけのうた』

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『国分一太郎童謡集』ー「がきねろ 八時」ー

2020-10-02 10:49:12 | Weblog
『国分一太郎童謡集』(北の風出版)より

 昔、村の幼子は八時には寝かされていた。

9 こほろぎ

 「がきねろ 八時」と
 ばつちやが いふが
 お前が なくので
 きいてゐる。

 ころころなくので
 きいてゐる。
 毎晩 くるので
 きいてゐる。
 「がきねろ 八時」と
 ばつちやがいふが
 こほろぎが鳴くので
 きいてゐる。

114 がき寝ろ八時
 「がき寝ろ 八時」 というけれど
 「とっとと 寝ろよ」 というけれど
 わたしは なんだか
 ねられない。

 父さは わらうち がっけんと
 母さは なわない さらさらり
 兄さは たわらを あんでいる
 姉さは ぞうりを つくってる

 「がき寝ろ 八時」 というけれど
 赤ちゃは とっくに ねたけれど
 わたしは なんだか 
 ねられない。

 夜食が 食いたい わけでない
 ねむけが ささない わけでない
 けれども なんだか ねられない。
 「がき寝ろ 八時」 というけれど。
              『国分一太郎文集(10)』
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『国分一太郎童謡集』ーまえがきー

2020-10-02 10:49:12 | Weblog
 ご案内している『国分一太郎童謡集』の前書きをご紹介します。縦書の文章をここでは横書きにしています。


■まえがき■

 児童文学者でもある国分一太郎は、昭和七年から八年にかけて、二百六〇篇もの童謡を書いた。その童謡の中に「がき寝ろ八時」という言葉が入っている童謡が二つある。
「こほろぎ」(作品9)では、ばっちゃが、いつもそう言うが、こほろぎが鳴くので寝られないという。幼子は、寝たくない思いを、こほろぎの鳴く声のせいにしている。

 もう一篇の童謡(作品114)では、「がき寝ろ八時」が題となって、こう言われても「わたしはねられない」というのである。その理由を考える。夜食が食いたいからか、ねむけがささないからか、いろいろ考える。そうじゃない。やっぱり気になるのは、「父さは わらうち がっけんと」「母さは…」「兄さは…」「姉さは…」。赤ちゃんはべつにして、家族みんながまだはたらいているではないか。私も大きくなった。もう仕事もできるんだ。「やろも しごとを手伝え」と、どうしていってくれないんだ。こんな気持ちを、この童謡はうたっている。

 これらの童謡を読み合ったときに子どもたちは、「おらも小さい頃そうだった」「おれんとこは爺んつぁがよく言う」「おれんところはおっ母だ」と喜んで話し出すにちがいない。そして、おらも、早く、みんなといっしょに仕事をしたいと、働くことへの参加、家族との絆を深めたいと感じたにちがいない。

 童謡は、うたうだけのものではない。子どもを育てるものである。だからこそ、教育の専門家でもある教師が書く童謡は、生活する子どもの側にたって、子どもの成長をささえるものでなくてはならないと、国分は考えた。

 昭和のはじめ、国が戦争に向かって進む状況のなかで「せっぱつまった」ことを書けば、とがめられる時代でもあった。米俵が一日、家の中に山積みにされても、次の日には、だんなさまに「年貢」(作品100)としておさめなければならなかった。「年貢」(作品89)のことなどは、童謡であっても、ひかえめに書かなければならなかった。

 苦しい生活であった、だから、自然のこと、家族の生活、村の暮らしもよく知らなければ生き抜くことはできなかった。「隣ぶれ」(作品193)のように情報を共有し、「共働」して助け合わねばならなかった。そして、文化や歴史からも学び、すこしでも、心にゆたかさを育み、生きることへの楽しさや喜びを見出せるように育てなければならなかった。
童謡にも、その役割を担ってほしいと考えた。その思いにかられて、毎晩、童謡を、「習作・ノート」に書きつづった。

 戦後になって『塩ざけのうた』に掲載されたものなどもあるが、書かれた作品のすべてを、今回、『国分一太郎童謡集』としておさめている。

 家族みんなで読み合い、その頃の生活を想像してもらうために、あまり注釈などをいれずに載せている。読み深めると、人々のくらしの原点がみえてくる。
「AI時代」に対応する教育論が語られるが、子どもが育つということは、どういうことかを考えさせられる作品が載っている。

   二〇二〇年七月一日
                         『国分一太郎童謡集』編集委員会

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『国分一太郎童謡集』発刊のお知らせ

2020-10-01 14:10:59 | Weblog
          『国分一太郎童謡集』発刊のお知らせ

 国分一太郎「教育」と「文学」編による『国分一太郎童謡集』(北の風出版)がようやく完成しました。
 国分先生の童謡をすべて収録し、直筆原稿や色紙のグラビア8頁。また、当時の子どもたちの生活画わかる「想画」、国分先生の描かれた生活画、さらには童謡につけられた楽譜も入ったコンパクトとながら、中身の詰まった編集をしています。
 第一部の「童謡作品」は、是非、親子で読んでもらいたいと思っています。
 部数に限りがございますので、ご希望の方は、早めに申し込んでください。
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