今週木曜日、一日かけて芸術活動を行うシンラパ プロジェクト(シンラパ=芸術)が
我がセンターで予定されている。
そのプロジェクトのうちの1時間を、私がリーダーとして受け持つこととなり、
先月から少しずつ準備を進めてきた。
初めて、すべてのクラスの子どもたちと関われる枠組みをもらっての活動。
その1時間で、どんな芸術活動をしようか
悩んで決め、練りなおし、とりやめ、新しいものに変え、
と、一人試行錯誤してきた。
当初は折り紙にしようかとおもっていたが、
肢体不自由の子どもでもできるものをと考え
最近いい感じの、貼り絵をすることにし、
今日の最終会議に備え、昨夜は遅くまで準備。
午前中は、このプロジェクトの大元締めである芸術担当の先生と打ち合わせ。
1時間話しただけで、ぐったりと、心底疲れ切ってしまった。
伝わらない。
伝えたいことの2割も伝えられない。
こういう目的で、こういう手段でいきたい、理由はこうなんだ、とちゃんとあるのに。
途中、伝わらないもどかしさで、だんだん物悲しくなってきてしまい、
表情に出てしまったのか
「さちえ、顔が緊張している。笑って。」と言われる始末。
予定して準備してきていた貼り絵の活動は、
すでに、さちえは折り紙をやると会議に出してしまったからと、
ボツ。
学習に一番大事な、「目的」も、よくよく考え、
辞書に載っていない教育の専門的な言葉を一生懸命調べ、
書いてきたけど、見向きもされない。
昨日、朝の4時までかけて準備したのに・・・。がっくり。
急きょ、折り紙に差し替えになり、スタートに逆戻り。
それからの猛烈な忙しさといったらない。
午後、シンラパープロジェクトの最終会議。
さしかえた、折り紙の活動を、身振り手振りで、先生たちに伝える。
先生たちは、折り紙には興味があり、会議中だが、私の持っている色紙に手を伸ばし、
あれやこれやと試しに折ってみる。
先生たちを見ていて、やはり、日本人の折り紙レベルは高いのだとわかる。
好評だった、手裏剣と箱。
「手裏剣」と言っても、みんなわからないが、
「忍者ハットリくん」といえば、「ああー!」とみんな知っている。
センター長の息子、私のお世話役のトノも、手裏剣を気に入った様子。
会議が終わった後、睡眠不足でぼうっとした頭で、資料の読解をするが
資料を一つ読むにも、辞書に顔を突きつけて
どれだけ時間がかかるか。
だけど、そんなことを想像できない先生たちは、
「資料?明日わたすから。」と。
一日も、一時でも早くもらわないと、訳すのにあなたちの10倍は時間がかかるんです!
んもう、キーーーッと、叫びたい気分。
どれも、日本でならば、ここまで時間のかかることでもないのだが
同じことをやろうとしても、
ここでは、日本での何倍も何倍も時間がかかる。
仕方のないこととはいえ、今日はぐったり。
準備段階で、一番ネックであるのが、言葉。
タイ語。
細かいところを伝えようとしても伝わらず、誤解されてしまったり、
私のつたないタイ語を、時間をかけてまで聞いて理解しようとする気持ちが
相手になかったり。
たとえば、出来上がった作品に色を塗るか、
それとも、最初から色のついた紙を使うかというささいなことにしても、
ほかの先生と思いがすれ違う。
たとえば、手裏剣を折るのには2つの紙の組み合わせが必要で
組み合わせるときに、紙を互いに差し込むという高等テクニックがいる。
白い紙同士だと、視角で奥行きをとらえるのが難しい自閉症の子、
ほか障害のあるなしに関わらず難しい。
色紙を使えば、2色の色の違いで、差し込み口がとらえやすい、
とうことが、いくら言って伝わらない。
こんなこと、日本でならば、5分もあれば、ちゃんと説明できる。
分かってもらうことができる。
だけど、ここでは全くだめだ。
次のネックは、勝手知らない環境であること。
絵の具、紙、スケッチブック、シール、セロハンテープ、両面テープ
使いたいものが、いったいどこにあって、どれだけ使ってよくて
というのが、今だに分からない。
この間までそこにあったものが、「もうない」と言われるし
高級な文具を買っていると思えば、色紙数枚を「お金はかけないで。」と言われる。
その辺の感覚が、全くつかめない。
仕方ないから、自分で買って調達するが、それも買いに行く時間の余裕に限界がある。
だから、センターの中で道具をそろえようとするが、
白い紙がほしい、鉛筆がほしい、絵の具が使いたい、と、
あっちの部屋に行き、こっちの部屋に行き、人に聞き、
たらい回しになり、時間がかかることかかること。
この2つでもうぐったり。
あさってのシンラパープロジェクト。
前任の協力隊員たちが、だいたい赴任して半年ほどで
何かのプロジェクトを持っていたことから、
さちえは、シンラパーをやらせようということになったらしい。
本当は、子どもたちや先生たちに接する日々の活動にこそ
意味がある。
このプロジェクトは見かけは派手だが、
そこからの成長や学びがどれだけあるんだろうかと、私は内心思っている。
だけど、配属先が求めるのは、
あちらこちらを手伝うこと、バックアップすることよりも、リーダー的な動き。
そして
「日本人ボランティアがここにきて、こんなことをやりました。」
と、見栄え良く、外部に見せられる形。
折り合いが必要だ。
このプロジェクトの出来次第で、お偉いさん方の私への態度も
今後の活動のしやすさも変わる。
このプロジェクトでは、私は初めてリーダーとして位置づけられているが、
一人でできることは何一つない。
説明だって、指示だって、一人じゃできないんだから。
私の立てた計画を基盤にして、タイ人の先生たちの力を借りて、一緒にやる。
日タイ教師が。
これは、これからの活動を軌道に乗せる大きな変革点になる。
あと2日後。 明日もきついぞ。
我がセンターで予定されている。
そのプロジェクトのうちの1時間を、私がリーダーとして受け持つこととなり、
先月から少しずつ準備を進めてきた。
初めて、すべてのクラスの子どもたちと関われる枠組みをもらっての活動。
その1時間で、どんな芸術活動をしようか
悩んで決め、練りなおし、とりやめ、新しいものに変え、
と、一人試行錯誤してきた。
当初は折り紙にしようかとおもっていたが、
肢体不自由の子どもでもできるものをと考え
最近いい感じの、貼り絵をすることにし、
今日の最終会議に備え、昨夜は遅くまで準備。
午前中は、このプロジェクトの大元締めである芸術担当の先生と打ち合わせ。
1時間話しただけで、ぐったりと、心底疲れ切ってしまった。
伝わらない。
伝えたいことの2割も伝えられない。
こういう目的で、こういう手段でいきたい、理由はこうなんだ、とちゃんとあるのに。
途中、伝わらないもどかしさで、だんだん物悲しくなってきてしまい、
表情に出てしまったのか
「さちえ、顔が緊張している。笑って。」と言われる始末。
予定して準備してきていた貼り絵の活動は、
すでに、さちえは折り紙をやると会議に出してしまったからと、
ボツ。
学習に一番大事な、「目的」も、よくよく考え、
辞書に載っていない教育の専門的な言葉を一生懸命調べ、
書いてきたけど、見向きもされない。
昨日、朝の4時までかけて準備したのに・・・。がっくり。
急きょ、折り紙に差し替えになり、スタートに逆戻り。
それからの猛烈な忙しさといったらない。
午後、シンラパープロジェクトの最終会議。
さしかえた、折り紙の活動を、身振り手振りで、先生たちに伝える。
先生たちは、折り紙には興味があり、会議中だが、私の持っている色紙に手を伸ばし、
あれやこれやと試しに折ってみる。
先生たちを見ていて、やはり、日本人の折り紙レベルは高いのだとわかる。
好評だった、手裏剣と箱。
「手裏剣」と言っても、みんなわからないが、
「忍者ハットリくん」といえば、「ああー!」とみんな知っている。
センター長の息子、私のお世話役のトノも、手裏剣を気に入った様子。
会議が終わった後、睡眠不足でぼうっとした頭で、資料の読解をするが
資料を一つ読むにも、辞書に顔を突きつけて
どれだけ時間がかかるか。
だけど、そんなことを想像できない先生たちは、
「資料?明日わたすから。」と。
一日も、一時でも早くもらわないと、訳すのにあなたちの10倍は時間がかかるんです!
んもう、キーーーッと、叫びたい気分。
どれも、日本でならば、ここまで時間のかかることでもないのだが
同じことをやろうとしても、
ここでは、日本での何倍も何倍も時間がかかる。
仕方のないこととはいえ、今日はぐったり。
準備段階で、一番ネックであるのが、言葉。
タイ語。
細かいところを伝えようとしても伝わらず、誤解されてしまったり、
私のつたないタイ語を、時間をかけてまで聞いて理解しようとする気持ちが
相手になかったり。
たとえば、出来上がった作品に色を塗るか、
それとも、最初から色のついた紙を使うかというささいなことにしても、
ほかの先生と思いがすれ違う。
たとえば、手裏剣を折るのには2つの紙の組み合わせが必要で
組み合わせるときに、紙を互いに差し込むという高等テクニックがいる。
白い紙同士だと、視角で奥行きをとらえるのが難しい自閉症の子、
ほか障害のあるなしに関わらず難しい。
色紙を使えば、2色の色の違いで、差し込み口がとらえやすい、
とうことが、いくら言って伝わらない。
こんなこと、日本でならば、5分もあれば、ちゃんと説明できる。
分かってもらうことができる。
だけど、ここでは全くだめだ。
次のネックは、勝手知らない環境であること。
絵の具、紙、スケッチブック、シール、セロハンテープ、両面テープ
使いたいものが、いったいどこにあって、どれだけ使ってよくて
というのが、今だに分からない。
この間までそこにあったものが、「もうない」と言われるし
高級な文具を買っていると思えば、色紙数枚を「お金はかけないで。」と言われる。
その辺の感覚が、全くつかめない。
仕方ないから、自分で買って調達するが、それも買いに行く時間の余裕に限界がある。
だから、センターの中で道具をそろえようとするが、
白い紙がほしい、鉛筆がほしい、絵の具が使いたい、と、
あっちの部屋に行き、こっちの部屋に行き、人に聞き、
たらい回しになり、時間がかかることかかること。
この2つでもうぐったり。
あさってのシンラパープロジェクト。
前任の協力隊員たちが、だいたい赴任して半年ほどで
何かのプロジェクトを持っていたことから、
さちえは、シンラパーをやらせようということになったらしい。
本当は、子どもたちや先生たちに接する日々の活動にこそ
意味がある。
このプロジェクトは見かけは派手だが、
そこからの成長や学びがどれだけあるんだろうかと、私は内心思っている。
だけど、配属先が求めるのは、
あちらこちらを手伝うこと、バックアップすることよりも、リーダー的な動き。
そして
「日本人ボランティアがここにきて、こんなことをやりました。」
と、見栄え良く、外部に見せられる形。
折り合いが必要だ。
このプロジェクトの出来次第で、お偉いさん方の私への態度も
今後の活動のしやすさも変わる。
このプロジェクトでは、私は初めてリーダーとして位置づけられているが、
一人でできることは何一つない。
説明だって、指示だって、一人じゃできないんだから。
私の立てた計画を基盤にして、タイ人の先生たちの力を借りて、一緒にやる。
日タイ教師が。
これは、これからの活動を軌道に乗せる大きな変革点になる。
あと2日後。 明日もきついぞ。