走馬観花~我還在北京

只今北京留学中。ってまだ北京におったんかいな!?
気が向いたら過去の分も差し込んでます(笑)

明代石橋&金中都水関遺跡

2007年09月29日 | 出去郊区&旅行
金陵からの帰り道、高速道路のわきにある明代の石橋に寄り道しました。本当に高速のすぐ横にあり、聞くところによれば、この高速を作るとき、石橋を壊さないようにちょっと道をずらしたのだそうです。
この橋は、永定河にかかっていた橋なのですが、永定河は、ちょくちょくその流れが変わる河で、現在ではここからかなり遠いところを流れております。だからこの橋の下には水がありません。橋は一部修復されておりますが、400年前のものがこうしてフツーに道のわきにあるとは、なんとなく不思議(笑)
       
そのあと豊台区にある北京遼金城垣博物館へ。ここのメインは金中都の水関遺跡。
こりゃ何じゃ、と申しますと、城壁の排水施設部分で、城内を流れる川が城外に出るところです。復元するとこんな感じなんだそうで...↓
               
この博物館には石刻も少し置いてあり、契丹文字で書かれた遼代の墓誌などがありました。

わんやんあぐだ~房山区 金陵

2007年09月29日 | 出去郊区&旅行
ここ2日、北大で学会があり、日本から先生方がやってきました。うちの大学の先生が日本側代表だったのもあり、空港まで迎えに行って、この学会にもフル参加。
1日目の討論会のあと、2日目は先生方と北大の学生さんたちとみんなで房山区にある金代皇帝の陵墓を参観。今回はじめて房山区に金陵があることを知りました。まあ、現在の北京に都(中都)があったわけだから皇帝陵があるのは当然なのですが、なんと房山区にあったとは...
          
金陵は雲峰山の麓に造営され、全部で17人の皇帝(+皇族)が眠っているとのことですが、現在までに5人の墓が発掘されているそうです。
4代目皇帝海陵王(完顔亮;在位1149~1161年)のとき、金はもともとの都(上京:黒竜江省)から中都へ遷都しましたが、そのとき始祖完顔阿骨打のお墓もここへ移しました。墓はすでに盗掘されており、陪葬されていた后妃のお棺からはいくつか文物がでてきたそうです。まさかあぐださんがこんなとこに眠っておられたとは意外!
                   
雲峰山の麓の集落に、文物局の作業所(ただの民家だった)があり、そこには文物がごちゃ~っと積まれておりました。重要なものは大体博物館にもって行かれてるのですが、ここに積んであったものも、なかなかにすばらしい彫刻が施されておりました。金は女真族が建てた国ですが、やはり中原文化とははっきりと一線を画しております。
                     
この作業所でわれわれは昼食のお弁当を食べたのですが、一匹かわいいわんこがおりまして、みんなのアイドルとなっていました(笑)