走馬観花~我還在北京

只今北京留学中。ってまだ北京におったんかいな!?
気が向いたら過去の分も差し込んでます(笑)

鶏鳴駅(2)~附土木堡

2005年10月12日 | 出去郊区&旅行
鶏鳴駅の見どころは,城壁のほか,清代に西太后が逃げ込んで来て泊まったという建物,この城のお偉いさんが住んでいた家,そしていくつかの廟があることです。とくに廟については,文廟,龍王廟,財神廟,城隍廟などがありましたが,そこの壁画は必見です。明清代のものが,文革の破壊を免れて今なお現存しております。とくに,財神廟の明代壁画はすばらしいの一言に尽きます。劉おじいちゃんの話によれば,どうやら壁画は上から漆喰かなにかで塗りこめられていたそうで,それを近年文物局の調査が入り,復原作業が行なわれたようです。
財神廟の壁画はお金に関する内容で,色も鮮やか,描線も細かく,あちこちに金が用いられており,明代においては,この場所がいかに繁栄していたかを物語っております。
        

帰り道,我々は河北省内は京張高速に乗らず,下の道を通りました。目的は土木堡。
そうです!明の正統帝が親征したもののオイラートのエセン・ハンに大敗けに敗けて,あまつさえ皇帝自ら捕虜になっちゃったという「土木の変」(1449年)のまさに合戦の地が近くにあるのです。まあ,結果的には大体の位置しか分からなかったのですが,友人曰く関ヶ原みたいな地形なのだとか(わたしはみたことナイ)。
さらに,ちょっと不思議だったのは,この付近,断片的な城壁があちこちに残っていて,もしかしたら以前は,いくつか城があった可能性があります。しかし詳細は不明。

鶏鳴駅(1)

2005年10月12日 | 出去郊区&旅行
帰国を間近にひかえた友人N嬢がどこか遊びにいきたいとせがむので,他2人の友人を誘い,1日タクシーをチャーターして河北省懐来県にある鶏鳴駅に行ってきました。
着いてびっくり。なんと立派な城壁がどどーんとそびえているではありませんか。ここは元代の郵駅ジャムチから始まる交通の要所であり,政府の伝馬(日本で言うところの飛脚?)の換え馬,使者の休息の施設を備えた場所で,清朝まで続いていた模様。規模は県城より小さく,ほぼ正方形に近い感じ。このような駅城は中国でも珍しいらしいです。
我々は偶然にも城内に住むガイドの劉存義おじいちゃんとばったり出会い,彼に案内してもらいました。このおじいちゃん,80歳近いのにシャキシャキ元気で,いろんなところを順序良く案内してくれました。しかしすっごい河北訛り?で聞き取れるのは50%程度。とりあえず相槌だけはうっておく我々4人。
おじいちゃんが子供の頃,ここは交通の要所だけに,日本軍が占領していたようで,そのとき覚えた軍隊の掛け声などいくつか披露してくれました(でも一切日本を批判しない)。
城内はみたところ古い民家が立ち並び,老人と乳牛をちらほらみかけました。なんでもここの特産は牛乳らしいのですが,誰も賛成してくれなかったので飲めませんでした(涙)城壁の外は一面のとうもろこし畑。収穫したとうもろこしがあちこちに積み上げてありました。
本当に残念なことには,この日はか~なり天気が悪く,城壁の写真もうまく写らないばかりか,鶏鳴山というこの駅城の名前の由来となった山も霧で一切見えませんでした...(涙)