
つぎの朝長距離バスで南下して宣化へ。宣化は張家口-北京をつなぐ幹線道路の途中にあり、宣化よりさらに南に行けば、あの鶏鳴駅・土木堡があるのです。

宣化には鎮朔楼(鼓楼)・清遠楼(鐘楼)・南大門が保存されており、上部の楼閣は最近修築されたものでしたが、基礎部分は古い感じでした。ちなみに鎮朔楼はもと明の正統年間(1436~1449年)に、清遠楼は明の成化18年(1482年)に建造されたそうです。

宣化も例に漏れず城郭都市で、城壁はわりと残っていました。写真は北側の城壁。東側でも確認。また城内にはもともと武廟や文廟、財神廟など廟がたくさんあったらしいのですが、現在は地名が残るのみであらかた壊されたとのこと(武廟は中学校の中にありました)。このへんは北京に近いためか文革の影響が強かったみたいです。。。

宣化には鎮朔楼(鼓楼)・清遠楼(鐘楼)・南大門が保存されており、上部の楼閣は最近修築されたものでしたが、基礎部分は古い感じでした。ちなみに鎮朔楼はもと明の正統年間(1436~1449年)に、清遠楼は明の成化18年(1482年)に建造されたそうです。

宣化も例に漏れず城郭都市で、城壁はわりと残っていました。写真は北側の城壁。東側でも確認。また城内にはもともと武廟や文廟、財神廟など廟がたくさんあったらしいのですが、現在は地名が残るのみであらかた壊されたとのこと(武廟は中学校の中にありました)。このへんは北京に近いためか文革の影響が強かったみたいです。。。