ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

ナイチンゲールと南無阿弥陀仏

2010年11月04日 | つれづれなるままに
医者であった伯父が亡くなって、2カ月以上経ちました。伯父の遺品を整理しながら、伯父がまだ元気であった数年前、電話で話してくれたことを思い出しました。

- 看護婦(大正生まれの伯父は、最期まで、「看護師」とは言わず、「看護婦」と言っていました)への講義をしているのだけれども、やはり、その場合、「南無阿弥陀仏を唱えろ」、ではちょっと具合がよろしくないんだなぁ。ナイチンゲールの博愛精神を説かないと・・・

私は、「ごもっともだなぁ」、と思いながら聞いていました。伯父の家の宗旨は、浄土宗です。実家では、阿弥陀仏をご本尊としたご仏壇があって、私のおじいさまが、ご詠歌やお経を唱えていたそうですので、何かあれば、当然、心の中で「南無阿弥陀仏」を唱えることはあったでしょう。

しかし、若い看護婦さんに向かって、「南無阿弥陀仏の精神で、患者さんに向かいなさい」というのは、ちょっと無理だったのだと思います。阿弥陀仏は、曼陀羅の世界では、西を守る仏様であると聞いています。私には、仏教の詳しいことはわかりませんが、亡き人を西方浄土に招いてくださる仏様のように、感じています。

病気で苦しんでいる人を前にして、「『南無阿弥陀仏』と唱えれば救われます」とは、とても言えないような気がします。伯父の家と同じく、阿弥陀仏をご本尊とする浄土真宗の家の家に生まれた私も、亡くなる直前の伯父を目の前にして、祈ったのは、阿弥陀さまではありませんでした。人知を超えるすべての大いなる存在に対し、伯父にもう少し生を賜ることができるように、必死にお祈りしました。でも、その願いは聞き届けられませんでした。

心肺停止したという連絡を受けて、急いで病院に駆けつけて、伯父を見たとき、「ああ、連れて行かれてしまった」、と思いました。伯父は、余りにも、安らかなお顔をしていました。明け方、熟睡していた伯父自身、まさか自分が亡くなるとは、思っていなかったのではないか、とさえ思いました。私は、神さまから(神という存在があるのであれば)、「あなたの伯父は、充分、人のために尽くし、十二分に生きたのだから、もういいのだよ」と言われたような気がしました。神さまが、ふっと両手を差し延べられて、伯父をあの世に連れ行ったように感じました。

伯父は、今頃、あの世で、ナイチンゲールさんにお会いしているでしょうか。伯父は、一生涯を人の命の救済のために捧げました。そして、伯父が入院していた病院の先生はもちろんのこと、看護師さん方も、博愛精神の下、本当に伯父によくしてくださいました。

今日、喪中のはがきの印刷を注文しに行き、伯父を失った悲しみを新たにしている私です。


ユラーナ


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今週の朝日歌壇 | トップ | 川越の茶舗・お茶亀屋 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

つれづれなるままに」カテゴリの最新記事