昭和3年(1928)に36歳でこの世を去った、川越の彫刻師に野本民之助という方がいます。川越南町の「翁の山車」の彫刻をしたことで有名ですが、短い人生の中でたくさんの川越近在の神社仏閣の彫り物をしています。
そのひとつに久保町のお不動さま(成田山川越別院本行院)の本堂と山門の彫刻があります。いずれも大正9年(1920)、28歳のときの作品です。
成田山川越別院本行院本堂
山門の外側から
山門の彫刻
本堂の彫刻
民之助は、大正11年(1922)には、日清紡績川越工場屋敷稲荷社殿の彫刻を完成させましたが、平成21年(2009)に工場撤収のために空宮となりました。しかし、今、この稲荷社は、成田山川越別院の出世稲荷大明神の社殿となっており、ここで、民之助の作品を間近によく見ることが出来ます。
成田山川越別院出世稲荷大明神
社殿の彫刻
野本民之助については、一人娘さんでいらっしゃる小坂部佳代さんが、「彫工 野本民之助義明」というご本を上梓されていらっしゃいます。その本を拝見すると、美しくもたくましい彫刻の細部まで見ることが出来ます。
子供の頃、遊び場にしていたお不動さまですが、こういう文化財を当り前のようにして見て育ったことは、贅沢なことだったとつくづく感じています。
ユラーナ
そのひとつに久保町のお不動さま(成田山川越別院本行院)の本堂と山門の彫刻があります。いずれも大正9年(1920)、28歳のときの作品です。
成田山川越別院本行院本堂
山門の外側から
山門の彫刻
本堂の彫刻
民之助は、大正11年(1922)には、日清紡績川越工場屋敷稲荷社殿の彫刻を完成させましたが、平成21年(2009)に工場撤収のために空宮となりました。しかし、今、この稲荷社は、成田山川越別院の出世稲荷大明神の社殿となっており、ここで、民之助の作品を間近によく見ることが出来ます。
成田山川越別院出世稲荷大明神
社殿の彫刻
野本民之助については、一人娘さんでいらっしゃる小坂部佳代さんが、「彫工 野本民之助義明」というご本を上梓されていらっしゃいます。その本を拝見すると、美しくもたくましい彫刻の細部まで見ることが出来ます。
子供の頃、遊び場にしていたお不動さまですが、こういう文化財を当り前のようにして見て育ったことは、贅沢なことだったとつくづく感じています。
ユラーナ