ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

川越の彫工・野本民之助と成田山川越別院本行院

2011年04月30日 | 川越
昭和3年(1928)に36歳でこの世を去った、川越の彫刻師に野本民之助という方がいます。川越南町の「翁の山車」の彫刻をしたことで有名ですが、短い人生の中でたくさんの川越近在の神社仏閣の彫り物をしています。

そのひとつに久保町のお不動さま(成田山川越別院本行院)の本堂と山門の彫刻があります。いずれも大正9年(1920)、28歳のときの作品です。


成田山川越別院本行院本堂


山門の外側から


山門の彫刻


本堂の彫刻







民之助は、大正11年(1922)には、日清紡績川越工場屋敷稲荷社殿の彫刻を完成させましたが、平成21年(2009)に工場撤収のために空宮となりました。しかし、今、この稲荷社は、成田山川越別院の出世稲荷大明神の社殿となっており、ここで、民之助の作品を間近によく見ることが出来ます。


成田山川越別院出世稲荷大明神


社殿の彫刻




野本民之助については、一人娘さんでいらっしゃる小坂部佳代さんが、「彫工 野本民之助義明」というご本を上梓されていらっしゃいます。その本を拝見すると、美しくもたくましい彫刻の細部まで見ることが出来ます。

子供の頃、遊び場にしていたお不動さまですが、こういう文化財を当り前のようにして見て育ったことは、贅沢なことだったとつくづく感じています。


ユラーナ


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ハナミズキ

2011年04月29日 | 植物・花
あちこちで、ハナミズキの花が満開となっています。





北アメリカ原産の木ですね。アメリカ・オハイオ州・トレド市に滞在しているときに、この花の木を知りました。英語では、Dogwoodと呼ばれていました。日本でも、人気が高くなってきましたね。

典型的な川越の家屋だと、家の中庭に庭木を植えると思うのですが、アメリカでは、家の前に広く庭を取り、芝生を植え、ほんの数本の美しい花の木を植えていました。美意識が違うなぁ、と思いました。

まだ、トレドは寒いでしょう。5月になると一斉に花が咲きだして、春の訪れとなりました。ハナミズキを見上げる度に、アメリカ生活を思い出します。


ユラーナ

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クルメツツジ

2011年04月28日 | 植物・花
家のクルメツツジが咲きだしました。





私は、単にツツジとして覚えていましたが、父から「久留米つつじ」と呼ぶことを教えてもらいました。


「久留米つつじ」について、検索してみたら、久留米市のホームページに出会いました。そこからの抜粋をご紹介いたします。

「クルメツツジは、市の花として久留米市のシンボルであり、日本中で愛されている花です。また、日本だけでなく国際的にも『クルメアザレア』の名で親しまれています。クルメツツジの歴史は、約300年といわれ、現在でも公園・街路樹や家庭の庭でたくさんの種類が育てられており、4月になると街中に色とりどりの花を咲かせています」

●クルメツツジの歴史

「クルメツツジの生みの親といわれているのは、江戸時代、久留米藩の馬術師範であった坂本元蔵です。当時、久留米地方ではツツジの盆栽が流行していましたが、種類が少なかったため、改良を思い立った元蔵は種をまいて育てる方法をつかって新品種のツツジを作ろうとしました。元蔵は城下を抜け出し、種を採取しては、苗床にまきましたがうまくいきません。ある日、自然に生えたコケの中にツツジの小さな芽生えを見つけ、コケまき法のヒントをつかんだと言われています。この方法により、100種類以上ものクルメツツジが作り出されました」


なるほど、家の庭に、子供の頃からあったツツジにそんな歴史があったとは・・

お玄関に活けてみました。



別の種類も咲いています。こちらの方が、少し早く咲き出しました。



東北の方たち、原発で避難されている方たちのニュースを耳にするたびに、胸が痛みますが、お花は、心を癒してくれますね。


ユラーナ







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庭掃除と草むしり

2011年04月27日 | つれづれなるままに
隣の伯父のソメイヨシノを楽しませてもらった代償は、庭掃除です。花びらが散り、先週、花びらを掃いたと思ったら、今度は、花のがくがたくさん落ちるので、再び、お掃除しました。きれいに、掃いた庭を眺めるのは、気分がとてもいいものです。

それから、だいぶ生え始めた草を一部取りました。草をむしっていると、何も考えることなく、ひたすら「むしる」という行為に没頭できるので、健康的だなぁと思います。

何か、手の先から体の毒素が土の中に吸い込まれ、また、大地のエネルギーが指先から入ってくるような気がします。

我が家は、私が生まれる前から、ずっと犬を飼っているので、庭に除草剤を撒いたことは一度もありません。よって、とても健康的な土なのです。このあたりは、川越藩の上級武家屋敷であったとされるので、我が家の庭の土は、江戸時代以前からのままにあります。

昔は、祖母の実家から小作人が来て、庭掃除をしてくれたといいます。今は、そんな時代ではなくなりましたので、自分たちでやるしかないのですが、爪を真っ黒にして、土いじりをするのは、かなり贅沢な作業かもしれませんね。おしゃれなネイルアートがお好きな方には、ちょっとわからない心境かもしれませんが。


ユラーナ
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川越の武家屋敷

2011年04月26日 | 川越
去年もご紹介しましたが、私の住む町内には、武家屋敷が残っています。平成18年3月27日に市指定文化財(史跡)となりました。
旧川越藩御殿医の屋敷跡とされています。





生垣の前に立てられた川越市教育委員会の立て看板によると、松平大和守家7代が川越藩主をつとめた明和四年(1767)~慶應二年(1866)当時の城下絵図によると、この場所(旧南久保町)には、250石から300石の藩士が居住したということです。

松平大和守家記録による武家住宅の建築規則の範囲内であることと、他藩武家住宅の事例と比較すると、ほぼ間違いなく、武家住宅であるとのことです。

また、増改築がされているものの、建てられた当初の形態に復元可能だそうです。今は、生垣の枳殻(からたち)の白い花が見事です。



山椒も花を咲かせています。



生垣越しに、復元された井戸も見えます。



七曲りに入ると、新しく作られた立派な門が。



門の脇には、孟宗竹が群生しています。以前、ここで採れた筍をいただいたことがあります。




3月下旬に、町内の方を対象に、室内が公開され、シルバーガイドの方による説明が行われました。(室内の写真撮影は禁止でした。)
母屋・客室面積は、約45坪。下男部屋は、約10坪。「切腹の間」とも「手術部屋」とも伝わる板の間の部屋もあります。

今のところ、一般公開の予定はないそうですが、ちょっと前を通っても、江戸時代に戻ったような気分になれます。


ユラーナ



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