船舶通信士であった父から聞いた話です。
1912年(大正元年)のタイタニック号海難事故を受けて、船舶の安全確保を目的として、国際海上人命安全条約(SOLAS条約)が1914年に締結されました。これによると、「船舶には、原則として、3人の船舶通信士が乗船し、24時間、550kcの電波を聴かなければならない」と定められていたといいます。これを「無線三直制」と呼びます。
タイタニック号では、船舶通信士が、旅客の電報発信業務に忙しく、カルフォルニア号からの再三に渡る「氷山が近い」という警告を無視したために、その悲劇が起こったとされています。この悲劇を二度と繰り返さないために、SOLAS条約は結ばれたのです。
日本では、「電波法」が、1950年(昭和25年)年6月1日に施行されました。その後、人員削減をもくろむ船主たちの「船舶通信士は、2人もしくは1人でいい」という主張を受けて、政府は、電波法の改正ならぬ、(父によると)「改悪」を何度も試みました。
1957年(昭和32年)7月10日に、田中角栄が39歳で郵政大臣となりました。30代での大臣就任は、戦後は、角栄が初めてでした。角栄は、翌年の6月12日に郵政大臣を辞めましたが、「後任の郵政大臣に、電波法を改悪させる引き継ぎをしたらしい」、という噂が流れました。
当時、父は、日本郵船の船舶通信士でしたが、船舶通信士協会に加入していました。その噂を聞いて、協会の仲間たちで「何とか改悪を阻止したい。そのためには、田中角栄に直訴したい」という話になりました。
田中角栄の首相秘書官となった人物で、榎本敏夫という有名な人がいますが、この人の弟さんが、船舶通信士でした。その方が「兄のコネで角栄に会える」、と言ったのだそうです。そこで、1958年(昭和33年)の夏、父他3名は、当時の目白御殿に行きました。
朝8時頃に行ったそうですが、大きな広間に陳情者が大勢いた、といいます。
そして現れたのが「角さん」。榎本敏夫が、「こっち、こっち」と言うと、角さんは、「おっ」と言って、真っ先に父たちの方にやって来て、
「君たちの用件は何かね?」
「電波法の件です」
「君たちは、法案に賛成か、反対か?」
「反対です」
「おっ、大丈夫だ。あれは通らん」
たったこれだけで、電波法の「改悪」は5年間されなかったそうです。(電波法の改正可決は1963年3月30日)
角栄より8つ年下の父は、この話をする度に、「田中角栄はすごかった」と言います。
ロッキード事件で失脚しましたが、政治を大きく動かした角栄は、陳情内容を聞いてその可否を即断したといいます。
そんな人物に私も会ってみたいと思います。
ユラーナ
1912年(大正元年)のタイタニック号海難事故を受けて、船舶の安全確保を目的として、国際海上人命安全条約(SOLAS条約)が1914年に締結されました。これによると、「船舶には、原則として、3人の船舶通信士が乗船し、24時間、550kcの電波を聴かなければならない」と定められていたといいます。これを「無線三直制」と呼びます。
タイタニック号では、船舶通信士が、旅客の電報発信業務に忙しく、カルフォルニア号からの再三に渡る「氷山が近い」という警告を無視したために、その悲劇が起こったとされています。この悲劇を二度と繰り返さないために、SOLAS条約は結ばれたのです。
日本では、「電波法」が、1950年(昭和25年)年6月1日に施行されました。その後、人員削減をもくろむ船主たちの「船舶通信士は、2人もしくは1人でいい」という主張を受けて、政府は、電波法の改正ならぬ、(父によると)「改悪」を何度も試みました。
1957年(昭和32年)7月10日に、田中角栄が39歳で郵政大臣となりました。30代での大臣就任は、戦後は、角栄が初めてでした。角栄は、翌年の6月12日に郵政大臣を辞めましたが、「後任の郵政大臣に、電波法を改悪させる引き継ぎをしたらしい」、という噂が流れました。
当時、父は、日本郵船の船舶通信士でしたが、船舶通信士協会に加入していました。その噂を聞いて、協会の仲間たちで「何とか改悪を阻止したい。そのためには、田中角栄に直訴したい」という話になりました。
田中角栄の首相秘書官となった人物で、榎本敏夫という有名な人がいますが、この人の弟さんが、船舶通信士でした。その方が「兄のコネで角栄に会える」、と言ったのだそうです。そこで、1958年(昭和33年)の夏、父他3名は、当時の目白御殿に行きました。
朝8時頃に行ったそうですが、大きな広間に陳情者が大勢いた、といいます。
そして現れたのが「角さん」。榎本敏夫が、「こっち、こっち」と言うと、角さんは、「おっ」と言って、真っ先に父たちの方にやって来て、
「君たちの用件は何かね?」
「電波法の件です」
「君たちは、法案に賛成か、反対か?」
「反対です」
「おっ、大丈夫だ。あれは通らん」
たったこれだけで、電波法の「改悪」は5年間されなかったそうです。(電波法の改正可決は1963年3月30日)
角栄より8つ年下の父は、この話をする度に、「田中角栄はすごかった」と言います。
ロッキード事件で失脚しましたが、政治を大きく動かした角栄は、陳情内容を聞いてその可否を即断したといいます。
そんな人物に私も会ってみたいと思います。
ユラーナ