ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

東京の伯父

2010年08月31日 | つれづれなるままに
都内で一人暮らしをしていた伯父が、昨日の明け方旅立ちました。
入院してからわずか2カ月余りでした。

私は、病室の伯父の元に通い、多くの時間を伯父と過ごすことを許されたことに
本当に感謝しています。

伯父は、53年前に私を取り上げてくれた産婦人科医でした。


ユラーナ
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2010年08月29日 | つれづれなるままに
つくづく思うに、「生まれる」ということは、「生を授かる」ということ。
「生きている」のではなく、「生かされている」。

たった一人で生まれて来ることは出来ないし、たった一人で生きることも出来ない。
多くの人の支えがあって自分の命は生かされている。多くの命の犠牲があって、
自分の命は生かされている。

そんなことを、この2日間、思いました。


ユラーナ
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ゴーヤ

2010年08月17日 | 植物・花
数年前から、家族がゴーヤを作っています。原産地は熱帯アジアとのことですが、最近は、日本の各地でも作られている模様。

これは、ゴーヤの花です。きれいな黄色です。







家族は、庭にツルを這わせて、ゴーヤのトンネルのようにしています。涼しげです。







私は、ゴーヤチャンプルを食するのはあまり得意ではありませんが、ビタミンCを多く含むために夏バテ防止にいいようですよ。


ユラーナ
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朝顔

2010年08月15日 | 植物・花
1週間程前から家の朝顔が咲き始めました。今年の花は、割と小さくて可憐です。


















朝顔にまつわる有名な句といったら、加賀千代女の次の句でしょう。

     朝顔に釣瓶(つるべ)とられてもらひ水


加賀千代女は、江戸時代、元禄16年(1703) – 安永4年(1775)の俳人です。

小学館の全訳古語例解辞典は、この句を次のように解説しています。

「初秋のさわやかな早朝、井戸端に朝顔が可憐な花を咲かせている。水を汲もうとしてふと気づくと、朝顔は釣瓶にまではいかかっている。美しい花を見ると、ツルを切るのもかわいそうに思われ、釣瓶をそっとそのままにし、近所に水をもらいに行ったことである」

我が家にも井戸はありますが、さすがに、釣瓶の井戸ではありません。手動のポンプ式です。10年程前に、井戸替えをしてもらったら、枯れていた水が出るようになりましたが、それから1年程したら、また、枯れてしまいました。どうやら水脈が切れてしまったようです。とても残念なことです。

昔は、夏になると、スイカを丸ごと冷やしたり、打ち水に使ったりして、井戸はとても重宝でした。

それにしても、江戸時代中期に詠まれた句が、現代まで生きているというのは、朝顔の花に、皆、心惹かれるからでしょうね。


ユラーナ
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川越のお盆

2010年08月11日 | 日本文化
今年もまたお盆がやってきます。川越の町中では、13日に提灯を持ってお墓にご先祖さまをお迎えしに行き、15日の夜に、また、提灯を持ってお墓にお送りしに行くお家が多いようです。蝋燭の火にご先祖さまの魂をお移しする、という考え方でしょうか。生まれてこのかた記憶にある限り、一度も台風などで、お迎えやお送りが出来なかったことはありません。きっと、そうなるように、ご先祖さまがうまく計らってくださっているのでしょうね。

お盆やお彼岸になると、自分の血にいったいどれくらいのご先祖さまの血が入っているのであろうかと考えます。父母で2人。祖父母で4人。曽祖父母で8人。そうやって遡ってゆくと、気が遠くなります。生命の誕生がいつであるのかは、私にはわかりませんが、遠い、遠い過去に命が誕生し、それが、今の自分に繋がっているわけですね。

ご先祖さまだけでなく、知り合いの方とのご縁も不思議なものですね。「袖振り合うも多生の縁」ということわざがあります。広辞苑によると、「道行く知らぬ人と袖が触れ合うことさえ宿縁による。すなわち、ちょっとした出来事もすべて宿世の因縁によるという意」だそうです。(ちなみに、「宿世」も「宿縁」も、「前世からの因縁」という意味だそうです。)「多生」を「他生」と書く場合があり、「他生」とは仏語で「前世」と「来世」を表すそうです。前世や来世でのご縁がなければ、この広い地球上で出会うことさえないわけですね。

最近は、お盆の13日と15日に提灯を持って歩いている方が減っているように思います。長い間の風習が廃れつつあるのでしょうか。あるいは、引っ越しをされて、なかなかお墓まで来ることが出来ないのでしょうか。少し寂しく思いますが、「ご先祖さまがあってこその自分」ということに想いを馳せることのできるお盆を大切にしたいと思います。


ユラーナ
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