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ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

今週の朝日歌壇

2011年05月31日 | 短歌
今週の朝日歌壇より心に残った歌をご紹介いたします。


    防護服の警察官が持ち上げし赤きランドセル背負ひしは誰 (郡山市)渡辺 良子
                                (高野公彦選)

これの歌は、まるでテレビの映像を見ているかのようです。「胸の痛む情景である」と高野公彦先生の評にありました。


    はるばるとカップ麺来たるハングルもタイ語も読めぬが湯を入れて待つ (仙台市)武藤 敏子
                                (高野公彦、佐佐木幸綱選)

韓国やタイからも救援物資であるカップ麺が届いたのですね。どんな味がしたのでしょうか。「救援物資にたよる被災地の生活の空気が読める」と佐佐木幸綱先生の評。


    見上げれば今年の青いこいのぼりブルーシートの上を泳げる (常陸太田市)鈴木 盛雄
                                (永田和宏選)

屋根が壊れてブルーシートをかける状況であるのに、鯉のぼりを立てたのですね。「生きる」ことへの強い気力を感じます。


    死者ひとり増え行方不明者ひとり減る数字の上ではそうなのだけど (伊勢原市)長谷川久江
                                (永田和宏選)

この歌を読んで、はっとしました。悲しい、悲しい数字です。


    かまどには昔神様おりましていま原子炉に神はいますか (東京都)無京 水彦
                                (佐佐木幸綱選)

火に対する畏敬の念は、戦前まで続いていたと思います。「原子炉に神はいますか」という問い、誰もしたことはなかったのではないでしょうか?人間の力を超えたものの存在を意識するとき、そこに「神」を見出すように思います。電力会社は、原発を人間の力でコントロールできると思っていたのではないでしょうか。


今週も大震災を詠んだ歌が多かったです。計画停電もなくなり、日常生活が戻って来ている関東地方。被災地からの声に耳を澄ませることが大切だと思いました。


ユラーナ
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歴史アイドル美甘子さんとのトークショー@川越

2011年05月30日 | 川越
昨日は、彩茶会という名前の大茶会が川越でありました。大雨の中、大勢のお客さまが川越にお越しくださいました。

私は、10時前に、本丸御殿に行ったのですが、予想をはるかに超える方が順番をお待ちでした。何と、お席に入れたのは、2時間以上待ってからでした。でも、遠州流のお点前を拝見でき、楽しいひとときを過ごしました。

午後3時からは、遠州流のお家元による講演が、市立博物館でありました。江戸初期の川越城主、酒井忠勝、堀田正盛、松平信綱は、小堀遠州と茶の湯の交わりがあったとのこと。貴重なお話を約1時間にわたり、お伺いすることができました。

4時半からは、茶陶苑にて、歴史アイドル美甘子さんと私のトークショーということになっていたのですが、雨ということもあって、予定どおりに事が運ばなかったようで、わざわざ来ていただいた多くの方がお帰りになるという事態となり、大変、申し訳なく、また、残念に思っています。

美甘子さんは、とても、おきれいで、元気で、素敵な方でした。



「川越の町をもっと面白くさせるには?」という質問に対しては、ITを活用した方法を提案してくださいました。この辺は、市の観光課の方にぜひ、聞いていただきたかったです。(あとで、お知らせしておきましょう)

私に対する質問、「川越の歴史の面白いところは?」では、江戸との関係の深さをお話しさせていただきました。酒井忠勝、堀田正盛、松平信綱の3人は、川越城主でありながら、幕府の大老、老中を兼任していました。3人とも、徳川家康、秀忠、家光と近しい関係にあり、そして、徳川家の茶道指南役であった小堀遠州から、お茶会に招かれ、信綱は、茶の湯の指導も受けていた、というお話をしました。

また、河越(川越)のお茶は、自覚大師円仁が、喜多院・中院の前身である無量寿寺を創建した際に、お茶園も作ったことが、きっかけとなりました。その後、江戸時代末期になると、狭山茶として復活するわけですが、喜多院からわずか数分のところで、昭和10年代まで、手揉みによるお茶作りがされていた、ということもお話ししました。

美甘子さん、川越にお運びいただきまして、ありがとうございました。歴史好きな若い女性にお会いできて、とても嬉しかったです。


ユラーナ
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野バラが咲きました

2011年05月28日 | 植物・花
昨日から梅雨入りした関東地方。庭の野バラが咲きました。



昔、昔、仕事でイギリスのボーンマスという町に6月に行ったことがあります。泊った小さなホテルの庭には、バラがたくさん咲いていました。
私は、バラの種類は、全くわかりませんが、ただただ、美しく、香しかったことを覚えています。

トイレに活けてみました。



しかし、今朝、すでに、蕾は開いてしまいました。

明日は、彩茶会という大茶会が川越であります。お茶の心得のない方でも、お気軽に参加できるイベントです。お天気が心配ですので、お着物でなくとも、普段着でお気軽にお出かけくださいね。


ユラーナ

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三猿: 見猿、言わ猿、聞か猿

2011年05月27日 | 日本語
川越・芳野地区と古谷地区に連れて行っていただいた際に、たくさんの石仏に出会いました。

そのうちのひとつに、日光東照宮の彫刻でも有名な、三猿が彫られたものがありました。かなり摩耗してはいましたが、はっきりと、三猿であることはわかりました。

すると、連れて行ってくださった方が、「この本当の意味はご存じでしょう」とおっしゃるので、私は、「いいえ、知りませんので教えてください」とお願いしました。

「見猿、言わ猿、聞か猿の頭に、『悪いことは』を付けると、意味がわかりますよね」と。

そうか・・「悪いことは、見ない。悪いことは、言わない。悪いことは、聞かない」

なるほど、それで、意味がよくわかりました。

全然、ダメな私、大いに反省いたしました。石に彫られた三猿の姿とこの言葉が、ずっと、心に残っています。


ユラーナ
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川越の田園風景

2011年05月25日 | 川越
昨日は、朝まで大雨でしたが、11時頃から、小雨になりましたね。川越の芳野地区、古谷地区に連れて行ってくださる方があったので、出掛けました。

お昼を食べ終わった頃には、すっかり晴れて気持ちがよい日となりました。

川越市が、在(ざい)と呼ばれた旧9ケ村(芳野村、古谷村、南古谷村、高階村、福原村、大東村、霞ケ関村、名細村、山田村)を合併して現在の市の形になったのは、昭和30年(1955)。わずか56年前です。旧市内に育った私は、川越の農村部に行くことはほとんどありませんでした。

しかし、行ってみたら、とても素晴らしい空間が広がっていました。


入間川の土手。向こう側に、荒川があるそうです。



すでに田植えが行われていました。何とも美しい景色です。





あちこちに、道祖神がいらして、地域の方の信仰の対象となっています。



伊佐沼近くの薬師神社は、茅葺の建物。社殿は、元和9年(1623)、川越城主酒井忠利の奉納により、建立。茅葺屋根の曲線ときれいにカットされている面が何とも美しい。



田んぼと緑が多く、鳥がさえずり、蛙の鳴き声が聞こえて、何と自然に恵まれているのかしら、と思いました。道のどこにも、自動販売機はなかったように思います。そして、川越の町中は、こういう周辺部の方たちによって、支えられているんだなぁ、と思いました。


ユラーナ
コメント (2)
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