私の出身大学、東京女子大学の創設者は、新渡戸稲造博士ですが、私は、新渡戸博士が著した「武士道」をようやく読み始めました。講談社の対訳版なので、原文の英語も読めて、読みやすいです。といっても、日本語訳も難解は難解ですが。
第4章(勇気・敢為堅忍の精神)に、河越城、江戸城を築城した太田道灌が、亡くなる直前に詠んだ歌が出て来ました。
かかる時さこそ命の惜しからめ
かねて無き身と思い知らずば
の歌を、新渡戸は、英語で次のように書いています。
“Ah! How in moments like these
Our heart doth grudge the light of life”;
“Had not in hours of peace,
It learned to lightly look on life”
1899年(明治32)の時点で、「BUSHIDO」を英文で著し、道灌の歌も英訳して世界に紹介した新渡戸稲造のすごさを、この年にして知り、感激しております。
また、良い大学でリベラル・アーツを学ばせていただいたことに感謝しています。
東女は、来年の4月で100周年です。
私の父方は、商家(米問屋)でしたが、母方は、武家でした。育ちといいましょうか、価値観の違いが大きく、両親は、いつも、衝突しております。
ユラーナ
第4章(勇気・敢為堅忍の精神)に、河越城、江戸城を築城した太田道灌が、亡くなる直前に詠んだ歌が出て来ました。
かかる時さこそ命の惜しからめ
かねて無き身と思い知らずば
の歌を、新渡戸は、英語で次のように書いています。
“Ah! How in moments like these
Our heart doth grudge the light of life”;
“Had not in hours of peace,
It learned to lightly look on life”
1899年(明治32)の時点で、「BUSHIDO」を英文で著し、道灌の歌も英訳して世界に紹介した新渡戸稲造のすごさを、この年にして知り、感激しております。
また、良い大学でリベラル・アーツを学ばせていただいたことに感謝しています。
東女は、来年の4月で100周年です。
私の父方は、商家(米問屋)でしたが、母方は、武家でした。育ちといいましょうか、価値観の違いが大きく、両親は、いつも、衝突しております。
ユラーナ