ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

お葬儀

2012年06月28日 | つれづれなるままに
最近、親と同年輩の方が立て続けにお亡くなりになり、お葬儀に参列することが何回かありました。

お坊さんのお経を聞きながら、遺影を拝見していると、故人との思い出が湧き上がってきます。

人は、生まれたら、必ず、年老い、病に倒れ、そして死へと向かう、というお坊さんのご法話をお聞きしながら、そうだなぁ、と納得しながらも、お亡くなりになられた方への思いを、お通夜、そして告別式という儀式の中では断ち切ることが出来ず、家に帰ってからも、何だかぼーっとしてしまうことも多いです。

一昨年亡くなった伯父のことは、今でも、心の片隅にあります。ああしてあげたらよかったかも、こうしてあげたらよかったかも、という思いが波が寄せてくるように、湧きますが、それは、言っても仕方のないこと。

あの世に旅立たれたのだから、「南無阿弥陀仏」をお唱えして、心の平和を保つことにいたしましょう。


ユラーナ
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父のリハビリ

2012年06月21日 | つれづれなるままに
父の訪問介護のセンターの体制が変わり、3か月に一度、ドクターがお越しになり、父の様態をチェックしてくれることになりました。

第一回目があり、理学療法士の先生とドクターのお二人でおみえになりました。

事前に父の具合は、記入用紙に書かれていたようですが、ドクターは、事細かに父から聞きとりをしてくださいました。

時間にして、30分程だったでしょうか。有難いです。ドクターがわざわざ家までお運びくださり、30分も話を聞いてくださるのですから。

後からみえたケアマネさんによると、今は、入院させるのではなく、自宅で療養、という(政府の)方針なので、こういった体制が取られるようになったとのこと。でも、すべての訪問介護のセンターが、ドクター派遣の実施をしているわけではなさそうです。

これから先の見えない介護の世界ですが、先生方、ケアマネさん、どうぞよろしくお願い申し上げます。

今の老人は(今のところ)幸せだなぁ、と思ってしまいました。私たちが年を取ったときには、いったい、どうなるのでしょうか。



ユラーナ
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托鉢僧

2012年06月16日 | 宗教
昨日、居間にいると、りーん、りーんという音がしました。何の音かしら、風鈴?でも、ちょっと時期が早すぎるし。と思っていると、段々、音は近づいて来るようでした。南部風鈴の音に近いけれども、もっと高貴な感じがしました。

音は、外から聞こえ、段々、我が家の前に来たように思えました。ふと、托鉢のお坊さんかも、と思い、そっと、門の隙間から覗くと、やはり、黒い衣を着たお坊さんが一人立ち、お経を唱えていらっしゃるようでした。

一瞬、新興宗教の方かも、という思いもよぎりましたが、それでもいい、なにがしかを差し上げたいという思いが強くなり、急いで、500円玉を握り、外に出ると、お坊さんは、すでに隣の家の前に経ってお経を唱えていらっしゃいました。

年配のお坊さんのようであり、新興宗教の方のようには思えませんでしたので、近づいてゆき、手を合わせ、持っていらした黒い入れ物(呼び方がわかりません)にお金を入れると、驚いた様子で私のことを見て、それから、お経を唱えてくださいました。ほんの短いお経でした。般若心経ではなかったと思います。

ご宗旨をお聞きすればよかったな、と後から思いましたけれども、手を合わせさせていただいたことだけで、十分な気がしました。黒い入れ物には、何も入っていませんでした。

托鉢僧が我が家の近辺を回ってくるのは、めずらしいことです。一軒一軒の前に立ち、黙々とお鈴を鳴らし、お経を唱えていらっしゃる姿に心打たれた私でした。こんな時代です。宗教を否定し、お坊さんにすら懐疑的な目を持たなければならない時代とは哀しいですけれども、お鈴の澄み渡る音は、不安に満ち溢れる昨今のもやもやした空気を一瞬でも、振り払ってくださったような気がしました。

勇気を出して外に出て、お坊さんに会えてよかったと思っています。


ユラーナ
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「日本における米軍兵士の物語」のつづき

2012年06月12日 | 国際交流
先日書いた「日本における米軍兵士の物語」の話ですが、元男さんの奥さまが、「ボブさんにお手紙を書いた」、ということでお預かりしてきました。20年以上前に、元男さんが、ボブさんに出そうとして、おそらく出さなかったお手紙も出て来ました。きれいな、几帳面な字で、日本語の文章が綴られていました。

また、ちょっとお時間をいただいて訳し、ボブさんとご家族宛てに送ってみようと思います。

ボブさん、ご健在でしょうか・・・

戦後、67年も経って、9か月だけ一緒に過ごしたアメリカ人と日本人の家族が、再び繋がろうとしている、不思議な感覚を覚えます。そして、そのほんの少しのお役に立つことができれば、とても幸せに思います。


ユラーナ
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”Stories of GIs In Japan with Pictures”by Bob Alfaro 「日本における米軍兵士の物語」

2012年06月07日 | 国際交流
私の母のイトコが、一年ちょっと前に亡くなりました。その半年後、奥様が、「こんな本を、おとうさんがまだ元気なうちに、アメリカ人のお友達の方が送ってくれて、おとうさんの写真が載っているのですけれど、内容がわからなくて・・・」とおみえになりました。

本のタイトルは、Stories of GIs In Japan with Picturesとなっていました。パラパラとめくると、母のイトコがバイクに乗っている写真がありました。ちょっと読んでみると、わりとわかりやすい英語で書かれているので、「ちょっとお時間いただけますか?読んでみます」と本をお預かりしました。

それから、なかなか手をつけられずにいましたが、ここにきて、やっと手をつけました。ボブ・アルファーロさんという方が、1991年に出版された本であり、50年前に朝霞のキャンプに写真家として駐在した話であることがわかりました。

母のイトコは、元男さんといいます。若い頃、朝霞のキャンプにいて、写真の仕事をしていたことは、母から聞いていました。

ボブさんの日本滞在は、1951年の12月から翌年の9月までのわずか9か月でしたが、日記でもつけていたのか、50年後に書かれたとは思えない程、刻銘に日本の様子が描かれています。

元男さんは、写真家のボブさんの助手だった模様です。そして、仕事面だけでなく、私生活においても、ボブさんをいろいろと助けていたことがわかりました。

序章で、ボブさんは、次のように書いています。

年を取ってきて、雨のシーズンとなると、日本で過ごした自分の時間が思い出される。雨が落ちると、ミステリアスな東洋の記憶を引き出すリズムであるかのように思える。

季節ごとに、わたしは、50年前に起こったエピソードを思い起こすのである。日本の真髄と美に捉まった私は、とても幸せだった。

日本で一時期を過ごした多くの兵士がそうであったように、日本を離れなければならないとき、私は泣いた。私が死んだとき、私の灰を日本の風に撒いて欲しいと願うものである。

理解できない言葉と習慣を持つ異なった国で生活することについて、あなたは、どう感じるであろうか。あなたは、どのように生き延びるであろうか。日本は、かつては、我々の敵であった。占領軍としてどのように振舞うべきだったのであろうか。この国は、我々の人生にどんな影響を及ぼすのであろうか。

私の物語は、1950年代初期に私が経験した日本の場面、場面である。私の人生は、東洋に触れて以来、方向転換した。ミステリアスな東洋に触れることにより、全人類に対して全く異なった見方をするようになった。しかしながら、私は、人種のるつぼであるニューヨークで育ち、日本に上陸するまで、すべての文化の中に住んでいると思っていた。

海外で過ごされた方の中には、訳なく定期的に記憶が浮上してくることをご存じであろう。音楽、匂い、食べ物を通して、あなたが残してきた土地に、気持ちの上で運ばれるのだ。あなたが経験した瞬間が、あなたの心に飛び込んできて、再び、循環し始める。数秒以内に、あなたは、努力せずとも、何千マイルも過去に旅をしている。言葉を発せずとも、心でその土地の人たちに話しかけている。日本で時を過ごした兵士のために、私は、私の目や他の仲間の兵士(GI)を通して、あなたに起こったかもしれないことを書こうとしている。日本に馴染みの無い方にとっても、いずれにせよ、この本の物語を楽しんでいただけると思う」


日本での様々な経験を、ボブさんは、同僚であった元男さんに語り、笑い合い、アドバイスをもらっています。

一番のハイライトは、ボブさんが、1952年の8月の第2日曜日に、NHKのラジオののど自慢大会に出場したことでしょう。「縁かいな」という端唄を三味線に合わせて歌い、鐘がひとつしか鳴らなかったことを書いていますが、その場面は、読んでいても、どきどきするものでした。

日本の古典の唄を歌った初めてのアメリカ人として日本の新聞に載った、とありますので、当時の新聞をあたれば、記事が見つかるかもしれません。

ボブさんは、まだ、ご存命でしょうか。もしご存命だとしても、90歳は優に超えていらっしゃるかと思います。

文章の最後は、次のような言葉で結ばれています。

「私にとって大切な人たちが見える。まるで年をとらないかのような人たち。私は、人生を11カ月の中に押し込めたことが信じられない。もし思い通りに出来るとしたら、私は、死んだら、火葬にしてもらい、私の第二の故郷である日本の空に、私の灰を撒いてくれたらなぁ、と願うものである」

全編に渡り、元男さんは、Motoo-sanとして登場しますが、元男さんが出てくる場面を訳して、奥様のもとへ持っていったら、奥様はお読みになるうちに、涙をこぼしました。

ボブさんとご家族にお手紙を出したいということでしたので、「お手紙訳しますよ」とお約束しました。

私の知っている方が生きた、終戦間もない時代。私が生まれる前のお話ではあるけれども、まるで、その場にいるかのように読ませていただきました。

ボブさんが、まだ、ご健在であるといいな、と思います。


ユラーナ
コメント (2)
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