ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

Long-long-ago in Kawagoe No.22アップとなりました。

2016年11月30日 | 川越今昔ものかたり
小江戸川越観光協会の英語版HPに掲載中のLong-long-ago in Kawagoe のNo. 22がアップとなりました。

蓮馨寺に、多門(おかど)伝八郎信清という人のお墓がありますが、この方の孫、多門伝八郎重共は、元禄14年(1701)赤穂藩主、浅野内匠頭が切腹を命じられたときに、立会人になった人物です。祖父と父のお墓が、蓮馨寺にあることから、重共も川越で育った可能性があります。





江戸時代以降、とても有名になったお話に、川越にゆかりのある人が関わっていたとは。川越の物語を書いていても、必ず、江戸と繋がるのが不思議です。

ユラーナ
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Long-long-ago in Kawagoe No.21アップとなりました。

2016年11月03日 | 川越今昔ものかたり
小江戸川越観光協会のHPに掲載させていただいているLong-long-ago in Kawagoeの21号がアップとなりました。

今回は、蓮馨寺にゆかりの深い江戸時代のお坊さん、感誉上人、源誉上人、呑龍上人について書きました。

源誉上人は、感誉上人の弟子となり、感誉上人が蓮馨寺に移ると、一緒に、蓮馨寺に移り、修行の日々を送っていました。

その後、増上寺の第12世となり、その後、徳川家康と関係が結ばれ、「観智国師」という国師号が与えられて、家康の知恵袋の一人として重要な役割を果たしました。


蓮馨寺は、庶民的なお寺で、誰でも受け入れてくださる有り難いお寺ですが、江戸時代に、このようなお坊さんを生んでいらしたんですね。




ユラーナ

コメント (2)
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