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ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

お施餓鬼の講話

2015年07月23日 | 宗教
2つの浄土宗のお寺さんから、今年のお施餓鬼の講話を頼まれています。

私などがお檀家さんに対してお話をするより、お坊さんがされたほうが、ずっと有り難いお話になるかと思うのですが、頼まれてしまったので、お引き受けいたしました。

原稿は、これから書きます。私の母方のご先祖さまで、知恩院さんの寺侍でありながら、写真術師となった堀内信重について、お話しする予定でおります。


40分程で終わるかなぁ・・・


ユラーナ
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「成道会記念 川越仏教講座」

2012年12月02日 | 宗教
市制90周年記念式典の後、蓮馨寺さんで行われた「成道会記念 川越仏教講座」に行ってまいりました。主催は、川越市佛教会です。




成道会(じょうどうえ)とは、お釈迦さまのお悟りをお祝いする儀式のことをいうそうです。

最初に、ご法要がありまして、粂原ご住職をお導師さまとして、皆で、般若心経をお唱えいたしました。

そして、埼玉県佛教会会長であり、全日本仏教会副会長でいらっしゃる飯能の曹洞宗の能仁寺(のうにんじ)の萩野映明老師による「今を生きる」というご法話をいただきました。

萩原老師は、私たちを笑いの渦に誘い込みながら、95%くらいを雑談のようなお話をされましたが、残りの5%は、とても貴重な、心に沁み入るお話でした。


「お寺は、お葬儀をするためだけのものではない。生きる命の使い方のアドバイスをするのがお寺である」

「仏教とキリスト教の一番の違いは、何か?人間は凡夫である。しかし、(仏教の場合)修行をすることにより、悟りを開くことができる。悟った人になれる。キリスト教の場合、(人間は)絶対に神にはなれない。仏教では、覚者(かくしゃ)になれる。覚者とは、自分で命の使い方を知った人。自分の生きる道を悟った人。凡夫だからこそ、覚者になれる。うんと、悩んでください。もがいてください。その人こそ、素晴らしい人になれる。覚者になれる。灯明が自分をさしてくれる」

「嫌なことがあったら、感謝をすること。これ以上、悪くはならない。良いことがあったら、気をつけなければならない。大いに人生をやること」

「雑談の中に、得るものがある」

「いい生き方をするには、もがくこと。悩むこと。すると光明が見えてくる」

「うんともがけば、本当の幸せを得ることが出来る」

「まず、思うこと。次に願うこと。それから祈ること。すると物事は成就してゆく。人間は、心が大事。良い心を持つこと。悪い心を持たないこと」

老師のお言葉で、書き留められたものだけを羅列しましたが、私の心には、とても響きました。このところ、ちょっと曇っていた心に陽が差しこんだような気がしました。

老師のご法話の後は、アローン・シアターを主宰されている谷英美さんによる「金子みすゞ」の詩の朗読とお話がありました。金子みすゞの生い立ちの解説があって、みすゞの世界に引き込まれてゆきました。

とても良い12月の初日を過ごさせていただきました。蓮馨寺さん、萩原老師、川越市佛教会のお坊さん方、谷英美さんに感謝申し上げます。


ユラーナ

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今年のお盆

2012年08月15日 | 宗教
今年もお盆を無事お迎えすることができました。毎年、自分も年をとるわけですが、80を超えた両親がだいぶ衰えて来ており、今年は、無事にお迎え、そして、お送りをすることができるであろうかと、ひやひやしておりました。

しかしながら、お蔭さまで、先ほど、母とお寺さんに行き、お送りを済ませることが出来ました。

夜7時半頃にお寺さんに着いたら、大勢の方が、お提灯を持って、ご家族でいらしていて、ああ、川越のお盆は変わっていないのだ、とほっとしました。

この先、何年、こうやって昔ながらのしきたりを守ってゆけるかしら、と不安がよぎりますが、考えないことにしました。

お墓で、お蝋燭からお線香に火を移そうとしたら、鈴虫の声が聴こえました。もう、秋がやって来るのですね。


父母には、元気で長生きして欲しい、と心から願っています。


ユラーナ
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今年のお盆

2012年08月15日 | 宗教
今年もお盆を無事お迎えすることができました。毎年、自分も年をとるわけですが、80を超えた両親がだいぶ衰えて来ており、今年は、無事にお迎え、そして、お送りをすることができるであろうかと、ひやひやしておりました。

しかしながら、お蔭さまで、先ほど、母とお寺さんに行き、お送りを済ませることが出来ました。

夜7時半頃にお寺さんに着いたら、大勢の方が、お提灯を持って、ご家族でいらしていて、ああ、川越のお盆は変わっていないのだ、とほっとしました。

この先、何年、こうやって昔ながらのしきたりを守ってゆけるかしら、と不安がよぎりますが、考えないことにしました。

お墓で、お蝋燭からお線香に火を移そうとしたら、鈴虫の声が聴こえました。もう、秋がやって来るのですね。


父母には、元気で長生きして欲しい、と心から願っています。


ユラーナ
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托鉢僧

2012年06月16日 | 宗教
昨日、居間にいると、りーん、りーんという音がしました。何の音かしら、風鈴?でも、ちょっと時期が早すぎるし。と思っていると、段々、音は近づいて来るようでした。南部風鈴の音に近いけれども、もっと高貴な感じがしました。

音は、外から聞こえ、段々、我が家の前に来たように思えました。ふと、托鉢のお坊さんかも、と思い、そっと、門の隙間から覗くと、やはり、黒い衣を着たお坊さんが一人立ち、お経を唱えていらっしゃるようでした。

一瞬、新興宗教の方かも、という思いもよぎりましたが、それでもいい、なにがしかを差し上げたいという思いが強くなり、急いで、500円玉を握り、外に出ると、お坊さんは、すでに隣の家の前に経ってお経を唱えていらっしゃいました。

年配のお坊さんのようであり、新興宗教の方のようには思えませんでしたので、近づいてゆき、手を合わせ、持っていらした黒い入れ物(呼び方がわかりません)にお金を入れると、驚いた様子で私のことを見て、それから、お経を唱えてくださいました。ほんの短いお経でした。般若心経ではなかったと思います。

ご宗旨をお聞きすればよかったな、と後から思いましたけれども、手を合わせさせていただいたことだけで、十分な気がしました。黒い入れ物には、何も入っていませんでした。

托鉢僧が我が家の近辺を回ってくるのは、めずらしいことです。一軒一軒の前に立ち、黙々とお鈴を鳴らし、お経を唱えていらっしゃる姿に心打たれた私でした。こんな時代です。宗教を否定し、お坊さんにすら懐疑的な目を持たなければならない時代とは哀しいですけれども、お鈴の澄み渡る音は、不安に満ち溢れる昨今のもやもやした空気を一瞬でも、振り払ってくださったような気がしました。

勇気を出して外に出て、お坊さんに会えてよかったと思っています。


ユラーナ
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