私は、22歳で外資系秘書となった際に、秘書養成学校に通いました。そのときの先生は、言いました。「畏まりました、という日本語は、神道から来ています。神道を信じる人ばかりではありませんので、かしこまりました、ではなく、承知いたしました、を使ってください」と。
当時、まだ、日本語の語源など考えたことはありませんでしたが、そのように指導されましたので、上司との会話、顧客との会話等では、必ず、「承知いたしました」という日本語を使ってきました。
最近は、どこでも、「かしこまりました」を使うようになった気がします。デパートの店員やホテルマンは昔からそうであったように思います。心の底から、相手を敬い、かしこまる気持ちを持った人が使う分には、いいのですが、口先だけで、「かしこまりました~」と言っている人に対しては、何となく、違和感を感じます。ハートが伴っていないのです。
デパートで商品を包装してくれたり、相談に乗ってくれたりする場所は、「承り所」です。
相手の言うことを受け、それを承知しましたよ、という意を表すには、使い方がむずかしい「畏まりました」より、「承知いたしました」の方が、相手の心に響くように思いますが、いかがでしょう。
決して、「畏まりました」という日本語が間違っているというのではありません。心が伴っていないように聞こえてしまう言葉を使うより、よりやさしい日本語を使った方が、お客さまの心に届くのではないでしょうか。
東京ステーションホテルのバーで注文をした際に、絶妙なタイミングでボーイさんが発した「畏まりました」は、本当に畏まっていて、心に響くものでした。日本語、つくづく、むずかしいです。
ユラーナ
当時、まだ、日本語の語源など考えたことはありませんでしたが、そのように指導されましたので、上司との会話、顧客との会話等では、必ず、「承知いたしました」という日本語を使ってきました。
最近は、どこでも、「かしこまりました」を使うようになった気がします。デパートの店員やホテルマンは昔からそうであったように思います。心の底から、相手を敬い、かしこまる気持ちを持った人が使う分には、いいのですが、口先だけで、「かしこまりました~」と言っている人に対しては、何となく、違和感を感じます。ハートが伴っていないのです。
デパートで商品を包装してくれたり、相談に乗ってくれたりする場所は、「承り所」です。
相手の言うことを受け、それを承知しましたよ、という意を表すには、使い方がむずかしい「畏まりました」より、「承知いたしました」の方が、相手の心に響くように思いますが、いかがでしょう。
決して、「畏まりました」という日本語が間違っているというのではありません。心が伴っていないように聞こえてしまう言葉を使うより、よりやさしい日本語を使った方が、お客さまの心に届くのではないでしょうか。
東京ステーションホテルのバーで注文をした際に、絶妙なタイミングでボーイさんが発した「畏まりました」は、本当に畏まっていて、心に響くものでした。日本語、つくづく、むずかしいです。
ユラーナ