ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

ブログとフェイスブックの二刀流、そして、安保法制

2015年07月16日 | つれづれなるままに
ブログを再開いたしましたが、やはり、フェイスブックも活用しています。ブログは、一方通行ですが、フェイスブックは、いろいろな人の意見やニュースが満載であり、情報交換が出来て、とても刺激的です。

しかしながら、この二刀流をどうやって、使いこなすべきかは、悩ましい限りです。

昨日は、駒場公園内にある日本近代文学館で調べものをした後、タクシーで移動し、国会前を通ったところ、安保法制に反対する人たちの波をこの目で確認いたしました。



私が遭遇した時刻は、16:47頃。国会を取り巻く形で、大勢の人たちで溢れていました。多くの警察官が人々を見守り、そして、テレビの撮影クルーの車両も何台も見えました。

国会前を通過し、銀座で用事があったので、銀座に行きましたが、そこは、別天地。「安保法制なんて、全く関係ないわ」といった感じの奥さまやお嬢さまで溢れていました。(私もその一人に見られたか?でも、私は、奥さまでも、お嬢さまでもありませんが。)また、中国人らしい人たちも、いつもながら大勢いました。

いったい、この国は、どんな方向へ向かおうとしているのでしょうか?

日本近代文学館では、俳句の雑誌「ホトトギス」の昭和10年から20年までを調べています。祖父の句が掲載されているはずなのですが、これまで、5回、行って調べましたが、今までのところ発見されておりません。ひたすらページをめくる地味な作業をいたしております。

戦争が色濃くなり、昭和18年になると、ホトトギスの号は、本当に薄っぺらな雑誌となってゆきます。紙も貴重だったことでしょう。昭和19年になると、発行されない月もあり、昭和20年2月と3月は欠番です。これは、空襲が激しくなり、また、3月10日の東京大空襲により、発行できなかったものと思われます。

祖父の句を追っているだけの作業でしたが、昭和10年から20年にかけての俳人たちの生活を垣間見ることになりました。

検閲が厳しかったと思われ、息子を亡くして悲しむ句はないように思います。俳人たちが、仮に詠んでいたとしても、投稿できなかったでしょうし、仮に投稿したとしても、高濱虚子は、それを入選作としてホトトギスに掲載することは、できなかったことでしょう。

昭和19年になると、投稿するのは、女性が多く、また、満州などの戦地からのものが多くなっています。

今の政治家に、そして、大人たちに、そして、若者に、私は、言いたい。歴史を学んでください。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というではありませんか。


ユラーナ







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