ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

本日(2011.2.26)の朝日新聞 「人生デザイン つながる IT世代の文通」

2011年02月26日 | 社会
今日の朝日新聞の「人生デザイン」のコーナーでは、「手書き回帰 心休まる」という文章が載っていました。インターネット交流サイトやツイッターが全盛のいま、ネットを入り口にして文通に回帰する若者が増えているとのこと。ちょっと見ただけだと、嬉しいような内容です。「IT世代の彼らが、なぜ?」とありました。

しかし、読んでみると、「文通村」というネットのサイトが会員を募り、村は、本名や具体的な住所を明かさずに、手紙がやりとりできる会員制のシステムを取っているとのことでした。

会員は、事務局が発行する会報の会員紹介欄から文通相手を選んで、事務局に手紙を郵送。事務局は、個人情報を他の会員に明かさない約束で、届いた手紙を月に2回、会員に郵送する、とありました。

「何でも話せる友人もいるが、直接話をすると、不安感からついイライラしてしまう。携帯メールは返事をせかされている気分になる。『手紙は相手のことを考えてつづることで、自然と心の整理がつくんです』」という会員の言葉も紹介されていました。

しかしながら、ここで私が問題だと思ったのは、相手の顔を全く知らない者同士が、相手の住所も知らずに文通して、本当に心を通わせることができるのかしら、ということでした。

昔、ペンフレンドというのが流行っていて、私は、拙い英語で、オーストラリア人と文通していたことがあります。これと同じでしょうか?でも、ちょっと違いますよね。この場合、住所はもちろん分かっていたし、写真を送り合ったり、贈り物をしたりもしましたし。

事務局が取り持っての文通。何か、寂しい感じがするのは、私だけでしょうか・・・

今日、私は、手書きの手紙を2通、郵便で送りました。一通は、お世話になったお茶の先生へのお礼状。もう一通は、私の「川越今昔ものかたり」3部作を皇后さまに献上するように侍従さんに上げてくださった元・政府高官からいただいたお手紙へのお礼状です。共に、よく存じ上げている方です。

手書きの文通が、顔も知らない相手というのは、寂し過ぎるのではないでしょうか。私は、年上の方には、出来る限り手書きのお手紙を差し上げるようにしています。原稿はパソコンで作りますが、一晩くらい寝かせて、翌朝、もう一度読み返し、修正すべき所は修正してから、正座して万年筆で書きます。お相手のお顔を浮かべながら書くと、自然と正座となり、背筋が伸びるのです。

封筒に住所と宛名を書き、80円切手も記念切手の中からどれにしようかしら、と迷いつつ選びます。とても時間がかかりますが、楽しい作業です。お相手の方が、私の手紙を手にしてくださったときのお顔を想像しながらの作業。

私自身、手書きのお手紙をいただくと、とても嬉しくなります。最高に嬉しかったのは、成田山新勝寺の貫首、橋本照稔様からいただいた毛筆の封書でした。私の「川越ご訪問」という本を、成田山川越別院にいらした際に、直接お渡しする機会を得て、その後、お葉書のお礼状をいただきました。「川越ご訪問」では、私の「川越今昔ものかたり」3部作が皇后さまとスウェーデン国王に献上となった経緯を書きましたので、「川越今昔ものかたり」3部作をお手紙と共に新勝寺にお送りしたところ、ご丁重なる達筆の封書が届いたのでした。

手紙は書き方ひとつで、人と人を結ぶとても有力なツールとなると思います。どうか、お若い皆さま、顔も住所もわからないお相手より、身近なご両親やおじいさま、おばあさまなどに手書きのお手紙を書いてみませんか?きっと、とても喜ばれると思います。

私は、去年87歳で亡くなった伯父に、10年以上に渡って手紙を出し続けましたが、伯父は、それを捨てずに全部取っておいてくれました。私の手紙類は、大きな紙袋2袋にぎっしり詰まっていました。伯父は、私の手紙をとても喜んでいてくれたのだと思い、自分がやってきたことは、間違っていなかったと思いました。

多くの方が、携帯やパソコンのお友達以上に、身近な方も大切になさってくださればな、と思います。きっと温かい繋がりが出来ると思います。


ユラーナ

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春のような陽気となりましたね

2011年02月25日 | 植物・花
今日は、とても暖かくて春が来たようでしたね。

修理に出していたデジカメが戻ってきたので、写真を撮ることが出来るようになりました。

本白玉が咲きました。こんなに開いてしまうと、お茶席では使えませんが、鑑賞するには一番の開き具合です。よくあの寒さを耐えて咲いてくれたと思います。椿のような強さが欲しい私です。




サクラソウも咲きだしました。




お茶・お華の先生から、お稽古はもうお止めになるとご連絡をいただきました。お辞儀の仕方、歩き方など、一から教えていただいただけに、とても残念です。しかし、先生も85歳となられ、お膝を痛めていらっしゃるので、これ以上の無理はお願いできません。

川越の茶道・華道の会からも退会されたとのことでしたので、私のお茶の楽しみは、どなたかのお席に入れていただくことくらいになることでしょう。

でも、まだ、先生がお元気でいらしてくださることが、心の支えとなっています。

先日、ご挨拶にお伺いして帰るときには、先生は、お家の外まで見送ってくださり、そして、私が、角を曲がるまで、ずっと、見ていてくださいました。そんな先生に出会うことが出来て、幸せでした。

ほとんど先生から学ぶことの出来なかった不出来な弟子でしたが、本当に長いことお世話になりまして、ありがとうございました。


ユラーナ

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レイテの反転で生き残った伯父

2011年02月21日 | つれづれなるままに
また、亡き伯父のマンションの後片付けに行って来ました。

遅々として進まない作業です。伯父の手書きのメモがあれば、手が止まり、残そうか、捨てようか、と迷う作業です。

医師であった伯父の残した書籍は、医学書以外は少ないのですが、レイテ沖海戦や昭和史などの本がたくさんあります。太平洋戦争中に戦艦長門に乗り、九死に一生を得たことが、伯父の人生、一生を通して忘れられないことであったのだと深く思いました。

犬死してしまった仲間を水葬にした若き軍医の伯父。まだ、20歳そこそこだったと思います。「人間は、亡くなると、簡単に爪が剥がれるのだよ」と、生前、語ってくれたことがありました。甲板で爆撃を受け亡くなった方の遺髪を切り、爪を剥がして、封筒に入れ、お名前を書いて、故郷に送ったそうです。

何故、自分が生き残り、彼らは死んでゆかなければならなかったのか・・・伯父は、ずっと考え続けていたに違いありません。「俺の人生はあそこで終わったんだよ。後は、おまけなんだ」、と伯父は何度も電話で話してくれました。随分と長いおまけです。22歳くらいで終戦を迎え、その後65年がおまけなのですから。

終戦後は、東大に戻って医学博士号を取りましたが、本当に、質素に暮らして来た様が、残ったマンションの一室からうかがえます。

もっと、伯父にいろいろなことを聞いておきたかったと思います。家主のいなくなったマンションを訪れるのは、実に寂しいです。今もマンションに電話をすると、力強い声で「はい」と出てくれそうな気がします。伯父が伯母を失って以来の、この10年以上、頻繁に電話をし、手紙を書き続けた私ですが、もっと伯父にしてあげられることはなかったのか、と自問自答しています。


ユラーナ
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美しい日本語

2011年02月18日 | 日本語
美しい日本語に出会いました。

ドイツ車の輸入代理店に用があり、電話したら男性が受けてくれました。担当の方をお願いしたところ、「少しお待ちいただいてよろしいでしょうか?」と。May I ask you to wait for a moment?という英語が流れてくるような感じでしたので、英語を話す方なのかしら、とふと思いました。そのディーラーでは、顧客に外国人がいてもおかしくありませんし。

「少しお待ちいただけますでしょうか?」でもなく、「少しお待ちいただけますか?」でもなく、「少しお待ちいただいてよろしいでしょうか?」という日本語。私の耳には、とても美しく響きました。


先日、人間ドックに行ったことは書きましたが、その後の軽食をいただけるラウンジでの、ウエートレスさんの言葉を書いてみます。

「○○様、ただいまお食事のご用意をいたしますので、あちらのお席で少々お待ちいただけますでしょうか。お席の準備が出来次第、お呼びいたします」

「○○様、大変お待たせいたしました。お食事のご用意ができましたので、ご案内申し上げます。恐れ入りますが、ご相席をお願いいたしております。どうぞよろしくお願いいたします」

「申し遅れましたが、珈琲はご自由にお飲みいただけます。どうぞご遠慮なくカウンターまでお越しくださいませ」

近頃の英語流行りで、日本語力、特に丁寧語が消えてゆきつつあるような気がしていましたが、この健診センターでの日本語は美しいと思いました。それは、単に言葉の美しさだけでなく、人間ドックを終え、お腹を空かせた客を、心から迎え入れようとするウエートレスさんの気持ちが感じられたからだと思います。パソコンやケータイのメールの多用で、言葉の音が響かなくなりつつある今日この頃、言霊の力を感じました。

ちなみに、私が行った人間ドックの場所は、川越の赤心堂総合健診センターでした。


ユラーナ

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丁寧な依頼 ~していただくことはできますでしょうか? 

2011年02月16日 | 日本語
以前、英語の丁寧語のことを書きました。

英文ビジネスライティング研修

ポール・ビソネット氏は、「英語では、相手にノーを認める表現でないと丁寧な依頼とはならない」とおっしゃいました。

私は、日本語でお願いをする場合、「~していただけますか?」を長いこと使っていましたが、これですと、相手は、ノーと言えないかな、という気がしてきました。ビソネット氏の影響でしょうか、私の日本語は、英語化したのか、「~していただくことはできますでしょうか?」という風になって来ました。変でしょうか?この日本語、以前からありますか?

「~していただくことは可能でしょうか?」は余りにも、Is it possible if you could ...の直訳みたいです。こんな日本語使う方、いらっしゃいますか?

今日、人間ドックに行って来たのですが、検査の後に、軽食が出ました。珈琲のサービスがあったのですが、もう一杯いただきたかったので、ウェートレスさんに「珈琲をもう一杯いただくことはできますか?」と言っている自分がいました。この状況での私の日本語は正しいのか・・ちょっと自信がありません。(ウエートレスさんの日本語はとても上品でした。)

「珈琲、もう一杯もらってもいいですか?」という日本語よりは、ずっといいような気がしますが、やはり敬語・丁寧語はむずかしいですね。敬語も進化しているような気がしますし、年齢を含めた相手との関係に応じて、丁寧語の重さ、軽さを変える必要があるのかな、という気がしています。


ユラーナ



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